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本日は昨日と同じ場所。


「堂島」の町の西端にある
※(どうじま)

「NTTテレパーク堂島」という

NTT西日本の施設からです。



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「NTTテレパーク堂島」の南側、

駐車場がある所に

石碑が3つ建っていました。



このうち、左側と中央の石碑

幕末から明治期の実業家、

「五代 友厚」氏に関わる碑だと
※(ごだい ともあつ)

前回の記事で紹介しました。



こちらが気になる方は、

記事の一番下にリンクを用意しますので

そちらからご覧ください。



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あらすじが長くなりましたが、

今回は右側にある石碑

確認していきます。




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右側の碑。

「大村藩 蔵屋敷跡」
※(おおむらはん くらやしき あと)

と刻まれている。



『大村藩ってどこだ?』

『分からへん…』

『調べてみよかー』



嫁のまーさん大村藩を調べている間、

は碑の写真を撮ることに。



『あっ…』



この時、チラッと見えた碑の左側面に

「長崎県」と書いてあるのを発見……。



『あー、調べたら出てきたわ。
 大村藩は長崎県やね』

『……知ってる』

『えっ!?』

『さっき知らん言うたやん』

『2秒前に知った』

『なんやねんそれっ』



何はともあれ、この場所には昔

「大村藩の蔵屋敷」が建っていて、

この碑はその跡地を示すもの。


……ということが分かった。



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碑の右側面。

碑文が刻まれている。



江戸時代、この堂島中之島付近には

全国諸藩の蔵屋敷が建ち並んでおり、

ここにあった「大村藩の蔵屋敷」

その一つだった。



という内容が書いてある。



「蔵屋敷」というのは、

江戸幕府に収める年貢米や

地域の特産などを保管・管理していた所。



当時の交通は船が主流だったため、

船を接岸できる川沿いに

蔵屋敷が配置されていました。



大村藩蔵屋敷のその後ですが、

明治の「廃藩置県」の制度によって
※(はいはんちけん=藩を廃止して、県が統治する制度)

姿を消してしまったようです。



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碑の左側面。


この碑は平成26年5月

「長崎県立大村高等学校 関西同窓会」

という会が建立した模様。



保存状態の良い碑だと思ったら、

ごく最近になってから

建てられたものだったんですね。



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碑の裏側。

植え込みの外から手を伸ばして撮影したら

ゆがんだ写真になった……ごめんなさい。



裏には、碑の文字をしたためた方の

お名前が刻まれていた。



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隣の大正時代の碑と見比べると

新しさがよく分かる。




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江戸時代、この場所に

蔵屋敷が建っていたことを伝える

「大村藩 蔵屋敷跡」の碑。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。


車が駐車している際は

接触しないように配慮をお願いします。



※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。



一緒に並んでいる「五代 友厚」氏の
石碑が気になる方はコチラからどうぞ。

内容:大村藩蔵屋敷の跡地に建ったよ



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【「大村藩蔵屋敷跡」の碑】

MAPの「五代友厚 製藍所」の石碑と一緒に並んでいます。


最寄り駅は
京阪電車・渡辺橋駅