この日は西区の憩いスポット、

「靱公園」の周辺を散策。
※(うつぼ こうえん)


靱公園の北側にある

「江戸堀」の町を徘徊していると……。



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高層オフィスビルの隅っこに

石碑が建っているのを発見。



『あっ、石碑がある!』

『んー?』

『あー、左端のやつかー』

『こんな大きなビルの前にも
 石碑って置いてあるんやね』




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嫁のまーさんが言う

「こんな大きなビル」というのは

こんな大きなビル。


大きいね。

「江戸堀フコク生命ビル」という名称です。



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こちらが石碑


「大村益次郎先生寓地址」
※(おおむらますじろう せんせい
 ぐうち あと)

と刻まれている。



『先生から後の字は
 何て読むんだろう…?』

『分からへん』

『まんち? …かな』

『どういう意味やろな…』



読み方も意味も分からず

この場で苦戦を強いられる。



後で調べたところ、

「寓地(ぐうち)というのは

「仮住まい」を指す言葉とのこと。


この場所には大村 益次郎氏

仮住まいがあったようです。



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大村益次郎さんと言えば、

以前、大阪城の南にある

「法円坂」という町で
※(ほうえんざか)

「殉難の碑」を発見しましたが、



この西区にも所縁の碑が

建てられていたんですね。



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隣に設置されていた案内板


「大村益次郎 寓居跡」
※(おおむら ますじろう
  ぐうきょ あと)


……ちょっと字が違う。

この案内板は明らかに新しい設置物なので

言葉も現代に合わせたのだろう。



大村益次郎さんについても触れつつ、

内容を以下にまとめていきます。



「大村益次郎寓居跡」


「大村 益次郎」は幕末の長州藩士

明治維新における立役者の一人で、

後の日本帝国陸軍の創始者


大村は嘉永2年(1849年)から、この地の

「倉敷屋作衛門」の
座敷に住みながら、

緒方洪庵の適塾で医学を学んだ。
※(緒方洪庵=おがた こうあん)
※(適塾=てきじゅく)



読み方が分かりませんでしたが、

「倉敷屋作衛門」という方のお屋敷に

大村 益次郎氏が一時住んでいたようです。



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碑の右側面。

「大村卿遺徳顕彰會」

と刻まれている。



大村 益次郎氏を称える顕彰会

この碑を建立したと思われる。



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ちょっと狭かったけど

碑の左側面を確認。


……赤いペンキ?

みたいなものが付けられていた。

イタズラかな……おやめください。



碑は昭和18年6月に建立。

なかなか古い石碑ですね。



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碑の裏面。


遠い。

草に支配されている。



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アップで撮影してみる。


草共のせいで下半分が読めないけど、

案内板に書いてあった説明と

ほぼ同じ内容だと思われる。



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ビルの片隅にひっそりと建つ碑。

なかなか気づきにくい。



ちなみに、大村 益次郎氏が通っていた

適塾があった場所は「北浜駅」の近くで
※(適塾=私的な学校のような場所)

ここから東へ1.5kmほどの距離。


徒歩20分くらいかな?

通学と考えると、中々大変そうだ。



0510_03

明治維新で活躍した歴史人物の

仮住まいがあったことを示す

「大村益次郎先生寓地址」の碑。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。



※今回の話に出てきた
「大村益次郎 殉難の碑」が気になる方は
こちらからどうぞ。

内容:めっちゃでかい石碑



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【「大村益次郎先生寓地址」の碑】



最寄り駅は
地下鉄・肥後橋駅
※駅からかなり歩きます