この日は港区にある

地下鉄・大阪港駅の周辺を散策。


先日紹介した、駅を出てすぐの

「天保山商店会」
※(てんぽうざん しょうてんかい)

歩いていると……。




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商店街のベンチのそばに

見覚えのある石碑を発見。


この形は間違いなく

「旧町名継承碑」だ。



『おっ、あれアレやん』

『本当だ。
 ここにもアレあるんだ』



嫁のまーさんも見慣れたもので

「旧町名継承碑」を呼ぶ時は

もはや「アレ」で通る始末。



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『ベンチの目の前だね』

『道路側に向いて座ったら
 流れで見てまう感じになるな』



ベンチの真ん中に座ると

自動的に継承碑を見ることになる

謎の画期的システムを採用。


しかし、植え込みとの間隔が狭い。


道路側を向いて座る人など

果たしているのだろうか。



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道路側を向いて座ってみた。

とてもいい眺めだ。

旧町名継承碑キングになった気分だ。


……旧町名継承碑キングってなんだ?



あっ、「旧町名継承碑」

知らない方のために説明すると、


こちらは

昭和時代の区画整理で消滅してしまった

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。



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この辺りは昔

「二条通一~四丁目」

という町名だったようだ。


読み方は

「にじょうどおり
 いち~よん ちょうめ」。



詳しい内容は写真をご覧ください。

「二条通一~四丁目」に関する部分だけ

以下に抜粋します。



「二条通一~四丁目」


明治40年4月
大阪湾築港埠頭埋立地の一部が、
西区「二条通一~四丁目」となった。

その後、近隣の町を編入しながら、

大正14年4月
行政区画の変更にともない港区へ編入。

昭和25年
天保山運河の拡張工事により、
一部が運河の水面下となった。

昭和43年9月
住居表示の実施にともない、
港晴五丁目・築港三~四丁目の各一部となった。

町名の由来は
安治川左岸沿岸から順番に、
一条から八条までの路線名を付けたため。



大阪湾寄りの方から

一条、二条と町名を付けていき、

ここが「二条通」の町になったんですね。



気になったのが、昭和25年の

「(町域の)一部が運河の水面下となった」

という記述。


町があった場所を水没させて

天保山運河を拡張したってことかな?

土地開発の歴史を物語る一文ですね。



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継承碑から

「天保山」方面を眺めた風景。


街のランドマークである

「天保山大観覧車」

ゆっくり回っている姿が見える。



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大阪の観光スポット「天保山」

昔の町名を伝える

「二条通一~四丁目」の旧町名継承碑。



近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年3月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「二条通一~四丁目」】

※MAPの「大阪港振興ビル」の正面にあります。


最寄り駅は
地下鉄・大阪港駅