この日は

大阪の観光地として親しまれている

浪速区「新世界」を訪れました。



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こちらはお馴染み「通天閣」


大阪のシンボルとして有名な

観光スポットの展望台ですが……。



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その足元には

将棋のコマである「王将」をかたどった

記念碑が設置されています。



『そういえばあそこに
 王将のコマがあるよね』

『うん。昔からあるで』

『あれなに?』

『・・・・・・』


『…さあ?
 将棋のコマやろ』

『この辺は昔から将棋道場があるから、
 その流れで置いてるんちゃうかな』

『…え? 流れで置いちゃう感じ?』

『いや、知らんけど』



地元民である嫁のまーさんですら

どういう物体なのか知らない様子。


かくいう私も

ここを通る度に目には入っていた。



……入ってはいたけど、

この辺りの「ワーオ、大阪!」みたいな

街の賑やかさと、

目の前にある通天閣に注目してしまい、

これまで素通りしていました。


ごめんね、王将。



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通天閣の足元に

「王将」があることを知っている

大阪の地元民は多いと思うけど、


その理由まで知る人は少なそうなので

調べてみることに。



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こちらが「王将碑」

巨大な王将のコマの下に

碑文がズラズラと並んでいる。


その横には

将棋の対局を描いた盤面がある。

これは「棋譜」というもの。
※(きふ)




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碑文を拡大。

詳細は写真をご覧ください。


簡単にまとめた内容を

以下に書き記していきます。



「王将碑」


この碑は将棋の棋士である

「坂田 三吉」を顕彰するもの。
※(さかた さんきち)


坂田は明治3年(1872年)6月に

大阪の堺市に生まれ、

幼少より将棋の才覚を発揮する。

昭和21年(1946年)7月、77歳没。


没後の昭和30年(1955年)10月に

その偉業をたたえられ、

棋道最高の名人位・王将位を追贈される。



この「王将碑」

明治から昭和初期にかけて活躍した

将棋の棋士「坂田 三吉」氏の

顕彰碑ということが分かった。



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碑の右側面。

「王将碑」の建立に携わった

発起人の方々の名前が刻まれている。



碑文には書かれてなかったけど、


坂田さんは賭け将棋で生計を立てるうちに

大阪のアマチュア将棋指しとして

その名を馳せるようになり、

多くのプロの目に留まったそうです。



それほどの指し手になるまで

腕を磨いたのがこの場所

「新世界」の界隈だそうで、


その由縁から通天閣の下に

「王将碑」が建てられました。



将棋を指す人々にとって

棋士「坂田 三吉」は伝説的な存在で、

現代においてもその名は

数多の将棋指しの心に刻まれています。



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王将碑の「王将」部分。

かなり巨大なコマで

大人の頭2つくらいの大きさがある。



『この字を見ると
 どうしても餃子が出てくるなー』

『あー、餃子の王将ね』

『…あれ? 大阪王将?』

『どっちも王将やねん』

『ややこしいわー』



碑とはまったく関係のない

中華料理店の話を持ち出すまーさん

ややこしいのは貴様である。



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お隣の棋譜(盤面)

大正2年(1913年)4月6日に

東京で行われた坂田氏の対局だ。



対戦相手の「関根 金次郎」という方は、
※(せきね きんじろう)

現在の「日本将棋連盟」を創設した

近代将棋の父と呼ばれる人物。



坂田氏と関根氏は

ライバル関係にあったそうで

この時の対局は坂田氏が勝利した。



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お賽銭入れがあった。



『お金入れる場所あるで』

『あら本当だ』



お財布からお金を出してチャリンッ。


お賽銭入れがあると

つい入れたくなるよね。



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碑の裏側。

こちらは何も書いてなかった。


……ここから見ると少しだけ

テトリスのブロックに似てる気がする。



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将棋棋士「坂田 三吉」氏をたたえる

「王将碑」。



通天閣に訪れた際は

こちらの碑にも注目してみてください。



※この記事の写真は2019年2月に撮影したものです。


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【王将碑】



最寄り駅は
地下鉄・恵美須町駅
地下鉄・動物園前駅