この日はJR環状線・大阪駅の隣にある

福島駅の周辺を散策しました。



駅を出てすぐの大通り「なにわ筋」

南方向へと進んで行き、


朝日放送テレビ(ABC)の社屋がある

交差点を西に曲がっていくと……。



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道路の向こう側に

石碑と案内板を発見。



『引き返して信号渡らなアカンか…。
 面倒やなー』



まだ何も言ってないのに

嫁のまーさん

いきなり面倒くさがる。



『あっ、隣にパン屋さんがある』

『えっ!? ホンマに? どこっ!?』

『向こう側に渡ってみよう』

『うん!』



まーさんはパンが好きなので

パン屋に釣られやすい。



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……間違えた。

完っっ全に見間違えた。



なぜか、写真の上の方にある

「ボクシング」の看板が

「パン」に見えたのだ。


もはや「ン」しか合ってない。



『パン屋ってどこ?』

『・・・・・・』



……どうしよう。

パン屋? 知らない。


「ボクシング始める?」とか

言うわけにもいかないし。


もういいや。無視しちゃえ。



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石碑と案内板がコチラ。



『…パン屋どこにあるん?』



建物の柵の中に設置されているので

もう少し近付いてみよう。



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碑には

「逆櫓乃松址」
※(さかろのまつ あと)

と刻まれている。



この辺りに「逆櫓の松」

という松の木があったようだ。



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こちらが案内板。


「逆櫓の松跡」

と読みやすい字になっていた。

ふりがなも振ってあって助かる。



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説明文を拡大したもの。

詳しくは写真をご覧ください。


簡単にまとめた内容を

以下に記していきます。



「逆櫓の松跡」


平安時代の1185年2月、

「源 義経」が平氏の討伐に出陣し、
※(みなもと の よしつね)

この地から四国の屋島まで
※(屋島=やしま=現在の香川県北東部)

船で急襲することを計画。


その際に義経軍の参謀役であった

「梶原 景時」と論争となる。
※(かじわら かげとき)


船に逆櫓を取りつける提案を出した
※(逆櫓=船を後ろにも動かせるオール)

「梶原 景時」に対し、

「源 義経」はそれを退却の意思と捉え、

前身あるのみと主張。


主張に追従したわずか5艘の船で

屋島へ急襲し、義経は勝利をおさめた。


この論争が行われた地に生えていた老松は

「逆櫓の松」と呼ばれた。



平安時代の歴史人物として

筆頭に上がる「源 義経」


その義経の武勇伝として語り継がれる話が

この福島の町にあったんですね。




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案内板、左側の絵図。

「摂津名所図会」、「浪速百景」

どちらも江戸時代に刊行された書物。



「逆櫓の松」

もう枯れてしまい現存していませんが、


江戸時代の頃にはまだ残っていて

その時点で樹齢1000年を越える

見事な松だったとのこと。



調べてみたところ、

明治42年(1909年)に発生した

「キタの大火」という大火事によって

逆櫓の松は焼けてしまったようです。


残念ですね……。



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石碑の隣には、背の高い細松がある。


「逆櫓の松」の二代目かな?

逞しく育ってほしいなあ。



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碑の裏側。

遠くて読みづらい。


「大正15年4月 福島史談会 建立」


と書いてある……と思う。



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碑が建っているのは

「ドミール堂島」という

マンションの敷地。



『…パン屋どこにあんねんッ』

『絶対ウソついたやろ!』



悠久の時に思いを馳せていて

まーさんのことをすっかり忘れていた。



しかし私は謝らない。

退却のことなど考えてはダメだ。

逆櫓はいらないのだ。


というか「ボクシング」と「パン」の

見間違えは、かなり恥ずかしい。



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平安時代の武将「源 義経」の伝承を

現代に伝える史跡、

「逆櫓の松跡」の碑。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。


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【逆櫓の松跡】



最寄り駅は
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JR環状線・福島駅
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