この日は西区の北東にある

「靱公園」の周辺を散策しました。
※(うつぼ こうえん)



強盗犯みたいな顔をしてる

海のウツボとは

何の関係もない公園だよ。



0424_01

ここは靱公園を真っ二つに割く

「なにわ筋」という大通り……


……をに進んで、

東西を走る「土佐堀通」
※(とさぼり どおり)

合流した交差点



ややこしいので、

「西区北東のなんか広い交差点」

というのが伝われば大丈夫です。



0424_02

西区北東のなんか広い交差点の北東角。

植え込みの中に

ひっそりと石碑が建っていた。



『石碑やなー』

『そうだね。
 こんな大きな交差点にもあるんだね』

『信号が青になったけど…。
 どうするん?』

『これ写真撮って行くん?』



一緒に来た嫁のまーさん

問いかけてきた。


信号が青になった程度で

石碑をスルーしてたまるか。



0424_03

青信号ごときと

天秤にかけられた石碑がコチラ。



……どこかで見た形の石碑だ。

キミ、前に会ったことあるよね?



たしか大阪天満宮の近くで

同じ形の石碑を見た……気がする。


あれは「川端 康成」先生
※(かわばた やすなり=小説家)

生家の記念碑だったかな?



0424_04

碑には

「長州萩藩 蔵屋敷跡」
※(ちょうしゅう はぎ はん
  くらやしき あと)

と刻まれている。



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「長州萩藩」というのは

「長州藩」のことで現在の山口県

萩城の城下に藩の役所があったため、

「萩藩」とも呼ばれていたそうです。



「蔵屋敷」というのは

江戸時代に建てられた倉庫兼邸宅

幕府に収める年貢米や地域の名産品などを

保存・管理していた場所です。



……ということで、

江戸時代、この場所には

「長州藩の蔵屋敷」があったんですね。



0424_06

碑文がズラズラと並んでいる。



「長州萩藩 蔵屋敷跡」


江戸時代、この辺りには

諸藩の蔵屋敷が立ち並んでおり、

この場所には広大な

「長州萩藩の蔵屋敷」があった。



長かったので

蔵屋敷に関する部分だけを

簡単にまとめました。


もっと詳しく知りたい方は

写真をご覧ください。



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ちなみにここから「土佐堀通」

西へ200~300mほど進んでいくと、


以前記事で紹介した

「薩摩藩の蔵屋敷跡の碑」がある。



0424_08

碑の側面。

「CHOSHU HAGI-HAN
 KURAYASHIKI ATO」

と英字で書いてあった。



明治の新時代において名を残し、

数多の歴史人物を輩出した長州藩

訪ねてくる外国人観光客も多いのだろう。

さすがだ。



……とか思いながら撮ったけど、

よく考えたらローマ字なので

完全に日本人向けである。



0424_05

江戸時代、この場所に

蔵屋敷が建っていたことを示す

「長州萩藩蔵屋敷跡」の碑。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。


話に出てきた「薩摩藩の蔵屋敷跡」に
興味がある方はコチラからどうぞ。
内容:薩摩ハウス



「川端康成先生の記念碑」にも
興味がある方はコチラからどうぞ。
内容:ダイワハウス



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【「長州萩藩蔵屋敷跡」の碑】



最寄り駅は
地下鉄・肥後橋駅