この日は大阪城の西に位置する

「大手前」の町を散策。
※(おおてまえ)



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ここは大手前にある「大阪府警察本部」

前衛的な外観をした

この建物の後ろを振り返ると……。



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史跡の場所を示す

「道標」がありました。
※(みちしるべ)



『「舎密局跡」ってなんやろ?』
※(せいみきょく あと)

『なんだろう?
 初めて見る名前だね』

『ここから0.8kmやって』

『結構近いね。
 見にいってみよう』



一緒に歩く嫁のまーさん

「舎密局跡」とやらを

探してみることに。



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道標に従って、

大阪府警察本部を横目にしながら

西へ0.8kmほど歩いてみる。



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……歩いてみたけど

史跡や石碑らしきものはない。




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振り返って

大阪府警察本部を見上げる。



『くっそ!
 騙したな大阪府警!』

『いや、あの道標は
 警察が置いたモンちゃうやろ…』

『もう8kmくらい歩いてるのに!』

『そんなに歩いてへんっ』

『府警めっ』

『突然ですが、たこるくんの
 ひったくり防止カバーください!』

『急に何言うとんねん!』



大阪府警の防犯キャンペーンでは、

自転車のカゴに取りつける

「ひったくり防止カバー」

たまに配られてます。



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歩道を塞ぐように

森っぽいモノがある。




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あった!


森の中に石碑がいっぱいある。

多分ここだ!



……疑ってごめん、大阪府警。

あと、たこるくんの

ひったくり防止カバーください。



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手前にあった石碑

「史跡 舎密局跡」
※(せいみきょく あと)

と刻まれている。



詳細は写真の碑文をご覧ください。

簡単にまとめた内容を

以下に記していきます。



「舎密局」


明治2年(1869年)5月1日

この地に理化学を専攻する

「舎密局」という学校を創設した。


学校はその後名称を変え、

明治19年(1886年)
第三高等中学校

明治22年(1889年)
京都市吉田へ移動

明治27年(1894年)
第三高等学校

となり、

現在の京都大学の教養部となった。



「舎密局」というのは

理化学専門の学校だったんですね。



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横にもう1つ、同じ形の石碑があった。

「大阪衛生試験所 発祥の地」

と刻まれている。


簡単にした内容を書いていきます。



「大阪衛生試験所 発祥の地」


明治8年(1875年)3月
舎密局の跡地に「大阪司薬場」が発足。

明治20年(1887年)5月
「大阪衛生試験所」となった。

昭和20年(1945年)6月
大空襲により焼失。

昭和24年(1949年)4月
「国立衛生試験所 大阪支所」
となって業務を再開。

現在は
「国立医薬品食品研究所 大阪支所」
となって試験研究業務を行っている。



こちらは

医薬品や食品などの品質や安全性を

研究する機関だったようです。



明治2年に創設された「舎密局」ですが

明治8年には

すでに跡地になっていたんですね。



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石碑の後ろにそびえる立派な大樹

こちらはクスノキ(樟木)


先ほどの舎密局の石碑によると

生徒が憩う緑陰として

当時からあったとのこと。



『これめっちゃデカイで…。
 明治より前からあるやろ』

『古くからある神社の
 御神木くらいあるよね』



比較物が無いので分かりにくいけど

とにかく巨大なクスノキだった。



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こちらにも細長タイプの碑が。

「史跡 舎密局跡」

と刻まれている。



『…というか「せいみきょく」って
 読みづらいよね』

『うん』

『フリガナがなかったら
 「しゃみつきょく」とか
 読んでまいそうになるなー』



調べてみたところ

「舎密」=「せいみ」というのは

オランダ語で「理化学」を意味する

「セイミ」が語源らしい。


当て字だから読みにくいんだね。



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右側面。

「昭和34年4月30日
 大阪府古文化記念物 うんにゃら」

と書いてある。


後半は判読できなかった……。



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左側面。

昭和34年、大阪府教育委員会が建立。




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「舎密局跡」の石碑

「大阪衛生試験所 発祥の地」の石碑

横から眺めた写真。


裏に何か刻まれてるようにも見えるけど

遠くて分からなかった……。



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クスノキのすぐ側にも石碑があった。

「舎密局址」

と刻まれている。


「址」「跡」と同じ。

これが一番古そうな石碑だ。



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クスノキと石碑の間には

「祠」のようなものがあった。




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アップにした写真。

祭壇のような形になっているので

クスノキを祀っていたのかもしれない。


扉が開いてるけど大丈夫だろうか?



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「舎密局跡」の一角を避けるように

ここの歩道だけグニッと曲がっていた。



『御神木を避ける道路みたいなことに
 なってはるんやなー』

『すごいよね』

『何度も大阪城に来てるけど
 近くにこんなのあるって初めて知った』

『ホンマになー』

『それにしても大きな木やね』

『空襲とかもあったはずなのに
 よく残ってくれたわー』



現代の道路事情に負けずに

そびえ立つ御神木は

これまでいくつも拝んできたけど、


どこも一角が神域のような感じがして

ワクワクしてくる。

ここのクスノキも同じだ。



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一番古そうだった

「舎密局址」の石碑の裏側。


何か書いてあるけど

がジャマをして見えなかった……。



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祠の裏側。

横に「石塔」のようなものがあった。



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突然現れた胸像



『なにコレ!?』

『ハライタ博士だって』

『腹痛? ウソやんっ…』


『…ハラタマ博士やんか!』

『あっ…本当だ』

『そんな名前の人おるわけないやん』


『…というかハライタ博士って
 自分のことやろ』

『普段から「お腹痛い」って
 よう言うてるやん』

『そうッスね…』



こんにちは。

ハライタ博士です。


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こちらは「K.W.ハラタマ博士」

という人物の胸像



まだ理化学の知識に乏しかった

当時の日本人に理化学を教えるために

招かれたオランダ人教師で、


舎密局の教頭として

指導に尽力した偉人とのこと。



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……なんかシュール。

ニュース番組みたいだ。




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歩道を進んで裏側(西側)へ。


遠くから眺めると

クスノキの巨大さがよく分かる。



大阪城大阪府警察本部に続く

通行人が多そうな歩道が

こんな迂回路になっている。


大阪の町は本当に面白い。



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歩道脇。


車通りが多い道にも関わらず、

舎密局の跡地を囲う石垣が

車道ギリギリまである。



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最後に反対側の歩道から

クスノキを見ていくことに。



色々と調べていくと

樹齢400~500年以上という

情報が出てきた。


そうなると、

豊臣秀吉の大坂城時代から

存在していたことになる。



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こちらから見ると

かなりの高さまで石垣が積まれていた。



『…あれ?』

『あの石垣の石って
 豊臣大坂城の石垣に似てない?』

『それウチも思った!』

『丸っこくて、土色っぽい感じが
 豊臣の石垣にそっくりやわ』



この大阪城の周辺には

徳川家によって埋められた

豊臣時代の石垣の遺構

いくつも発見されており、


この舎密局跡の石垣にも

似たような特徴がみられた。



もしかすると、

埋まっていた豊臣大坂城の石垣の石

当時はそれと気づかずに

再利用
したのかもしれない。



……ここまで書いておきながら

全然違う石だったらごめんなさい。



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舎密局跡の石碑群とクスノキ。


これから先の時代にも

史跡として残していってほしい。



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京都大学の源流となる

理化学専攻の学校があったことを示す

「舎密局跡」。



大阪城の近くにありますので

ぜひ訪れてみてください。



※この記事の写真は2018年12月に撮影したものです。


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【舎密局跡】



最寄り駅は
地下鉄・谷町四丁目駅