この日は地下鉄・肥後橋駅を下車して

西側の道を散策しました。



西区の北側を流れる

「安治川」に沿った大通り、
※(あじ がわ)

「土佐堀通」を歩いていると……。
※(とさぼり どおり)



0410_01

横断歩道の先にある

大きな建物の一角に

石碑が建っているのを発見。



『あそこの植え込みに
 石碑があるね』

『あっ、ホンマやね。
 なんやろなー?』



一緒に歩く嫁のまーさん

石碑を確認してみることに。



0410_02

建物は「三井倉庫」


日本有数の企業団体、

三井グループの事業所のようだ。



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信号が青になったので

石碑に近づいてみる。



『石碑があるだけみたいやなー』

『そうだね。
 案内板とかは無さそう』

『「薩摩藩」って書いてあるで』

『近づく前に読むのヤメテ…』



写真を撮っていたら

まーさんネタバレをしてきたので

そそくさと信号を渡りきる。



0410_04

碑には

「薩摩藩 蔵屋敷 跡」
※(さつまはん くらやしき あと)

と刻まれている。



「薩摩藩」は現在の鹿児島県のことで、

江戸時代の頃の名称。



「蔵屋敷」というのは

江戸幕府に収める年貢米や、

町で販売する地元の名産品などを

保存・管理する倉庫&邸宅



……ということで、

ここには昔、薩摩藩の蔵屋敷

あったようです。



0410_05

碑の右側面に碑文があった。

短いので以下に記していきます。



「薩摩藩蔵屋敷」


薩摩藩

土佐堀二丁目に上屋敷

江戸堀五丁目に中屋敷

立売堀西の町に下屋敷を有した。
※(いたち ぼり)


明治元年(1868年)

会津藩兵と衝突、自らの手で焼いた。
※(会津=あいづ=現在の福島県あたり)



ここは上屋敷が存在した場所で、

他にも現在の西区内の地域に

2つの蔵屋敷があったとのこと。


当時の薩摩藩の勢力が

いかに大きかったかが分かりますね。



0410_06

左側面には何も書いてなかった。



……おそらく裏面には

碑の建立時期が刻まれてると思うけど

回り込むのが無理だった。



大阪府西警察署のホームページによると

「昭和48年3月に碑を建立」

とのことです。



0410_07

碑文の説明が大雑把だったので

調べてみたことを補足。



安治川の南沿いにあるこの場所を含め、
※(正確に言うと、この辺りは「土佐堀川」です)

中之島を挟む川沿いには

各藩の蔵屋敷が建ち並んでいたそうで

薩摩藩の蔵屋敷もその一つでした。



当時あった蔵屋敷が

江戸時代のいつ頃に建てられたのかは

史料がなかったため分からず……。



碑文にもあった通り、

明治元年(1868年)に起きた

「鳥羽・伏見の戦い」で、
※(とば・ふしみ の たたかい)

薩摩藩が属する新政府軍と幕府軍が対立。


「幕府軍側の会津藩が、
 薩摩藩の蔵屋敷を奪う準備をしている」


という報せを聞いたため、

薩摩藩は自らの手で

上・中・下の蔵屋敷を焼き払ったとのこと。



時代の大きな変革の際に

姿を消してしまったんですね。



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碑が建っている場所から

西を向いた風景。



実は上・中・下の蔵屋敷以外にも

「薩摩藩濱屋敷」
※(さつまはん はまやしき)

という屋敷があったそうです。



この場所からほんの少し西へ進んだ、

「土佐堀通」「あみだ池筋」が交差する

大通りの南西側の区域に

濱屋敷があったとされています。



古地図に記されているだけで

史料も少ないため、

詳細はよく分かっていないようです。



よく分かっていないことなのに

長々と説明してごめんね。



0410_04

幕末の動乱によって姿を消した

蔵屋敷の跡地を示す

「薩摩藩蔵屋敷跡」の碑。



近くを通り掛かかった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。


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【「薩摩藩蔵屋敷跡」の碑】



最寄り駅は
京阪電車・中之島駅