本日は昨日と同じ場所、

天満橋駅の近くにある

「北大江公園」を散策した時の話です。



ちなみにタイトルの「石町」

「こくまち」と読みます。



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ここが「北大江公園」


この辺りは「上町台地」という地形の
※(うえまち だいち)

北端に位置しているので、

天満橋駅から公園に向かうと……。



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……こんな感じの

結構な急な坂道

上って行くことになります。



とりあえず

「高台になってるんだなー」

ということを分かってもらえたら

も坂を上った甲斐があります。



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公園内を散策していると、

お地蔵様のお堂の横に

史跡の案内板が建っていました。




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こちらが案内板。

大阪市教育委員会が設置したものだ。




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案内板には

「三橋楼跡」
(さんきょうろう あと)

と書かれていた。



幕末~明治中期にあった料亭で、

明治8年(1875年)1月8日に

「大久保 利通」「木戸 孝允」
※(おおくぼ としみち) (きど たかよし)

最初の会談を行った場所とのこと。



明治期の歴史的な場所のようですね。



「三橋楼」の名前の由来は

ここから北に行くと流れている

「大川」に架かる、


「難波橋」「天神橋」「天満橋」という
※(なにわ ばし) (てんじん ばし) (てんま ばし)

現在も存在する三つの橋が

一望できることからだそうです。




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案内板の下側。

やスマホの姿が入り込むので

下から見上げる角度になった……。


左側に説明文があり、

右側には地図写真がある。



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左の説明文。


こちらの説明文は

明治維新の流れを熟知した人に向けた

説明になっていたので

ちょっと簡単な解説を入れていきます。



読むのが面倒な人は

写真だけをご覧ください。



まずは登場する人物の説明から。


「大久保 利通(おおくぼ としみち)
明治維新における立役者の一人。
明治政府の中心人物として活動。


「木戸 孝允(きど たかよし)
明治維新の立役者の一人で
「桂 小五郎」の名前でも知られる人。
明治政府で活動していたけど
大久保さんとかと対立して辞職。


「板垣 退助(いたがき たいすけ)
明治維新の立役者の一人。
大久保さんとかと対立して辞職。
今回の話にはあまり関係ない。




維新後に樹立した明治政府ですが

意見の対立などで

有用な人材が離れてしまいました。



その人材を再び政権に復帰させたい

ということで行われたのが

「大阪会議」という会談です。



交渉の結果、

木戸さん板垣さんが復帰して

政府の新体制が整っていくのですが、



その大事な大阪会議が始まる前

大久保さん木戸さん

個別に会談を行った場所が

こちらの「三橋楼」でした。



……ということで「三橋楼」

明治政府の新体制の個別会談が行われた

大変、歴史的な場所なんだそうです。



……話が長くなってごめんね。



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右上の地図。

三つの橋「三橋楼」

位置が描かれている。



「三橋楼」はその後、

明治15年(1882年)

ここから南西の方向にある

「本町橋」の近くに移転したとのこと。



さらにその後にまた移転し、

現在の大阪にその姿は無いようです。



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右下の写真。

移転した「三橋楼の跡地」には

「日本ハリストス正教会」

という教会が建ったとのこと。


聖堂なども建設されたけど

昭和20年(1945年)6月の空襲で焼失。

その後、教会は吹田市に移転



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「三橋楼」に関するものは

こちらの案内板のみ。


石碑などは見当たらなかった。




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現在の「三橋楼 跡地」


ごく普通のマンションが建っている。

高台の上にあるマンションなので、

上階の人は見晴らしがいいのかな。



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明治時代を築く歴史的な会談が行われた

「三橋楼」の跡地。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年12月に撮影したものです。


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【三橋楼跡地】



最寄り駅は
京阪電車・天満橋駅
地下鉄・天満橋駅