この日は福島区にある
JR環状線・福島駅の周辺を散策。
駅を出てすぐの幹線道路「なにわ筋」を
南に向かって進んでいくと、
テレビ局「朝日放送テレビ(ABC)」の
社屋があります。
こちらが朝日放送の社屋。
この社屋を目印にして
交差点の西方向を向くと……。
曲がり角の先にある電柱の横に
石碑が建っているのを発見。
碑には達筆な字で
「橋」っぽい漢字が刻まれていた。
『なんて読むんだろう?』
『…ジョウ…シン橋?
難しくて読めへんなぁ…』
難しくて読めへんなぁ…』
『橋の字の下にも何か書いてはるけど
埋まってるみたいやね』
『あと、下側部分の色が
ちょっと違うね』
『昔は色の違う所まで埋まってたとか
そんな感じちゃうの?』
一緒に訪れた嫁のまーさんと
解読を試みたものの、答えが出ない。
橋を示す石碑っぽいけど
よく分からないので調べてみることに。
真正面から。
調べた情報によると、こちらは
「浄正橋跡」の碑。
※(じょうしょうばし あと)
その昔、この辺りを流れていた
「曽根崎川」という川に
※(そねざき がわ)
架かっていた橋の一つで、
この碑は浄正橋の痕跡を示す
顕彰碑とのこと。
碑の左側。
何も刻まれてなかった。
かつてこの辺りを流れていたという
「曽根崎川」は
蜆がよく採れたことから
※(蜆=しじみ貝=味噌汁でよく見かけるアイツ)
※(蜆=しじみ貝=味噌汁でよく見かけるアイツ)
「蜆川」とも呼ばれていました。
曽根崎川は
明治42年(1909年)に上流を、
大正13年(1924年)には下流を
埋め立てられて姿を消してしまい、
それと同時に架かっていた橋も
撤去されてしまったようです。
碑の右側。
同じく何も刻まれていない。
碑の黒ずんでいる所から下が
明らかに色が違う……。
昔は地面に埋まっていたのかな?
ちょっと半端な場所に建ってるし、
移設か建て直しなどで
今の状態になったと思われる。
道路側へ出て裏面を撮影。
柵で見えにくいけど
「大正15年建〇〇
福島史談會」
と刻まれている。
「〇」の箇所は読めず……。
大正15年は昭和元年でもある1926年。
曽根崎川の下流を埋め立てた
2年後に建立されたようだ。
かつて流れていた曽根崎川と、
そこに架かる浄正橋の存在を示す
「浄正橋跡」の碑。
近くを通り掛かったら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。
「曽根崎川」にも興味がある方や、
埋め立てられた理由を知りたい方は
こちらの記事をどうぞ。
内容:しじみ
内容:そねざき
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【「浄正橋跡」の碑】
最寄り駅は
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