本日は実質、昨日の続きから。


大阪でも指折りの観光スポット

「大阪城」の周辺を

散策した時のお話です。



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こちらは昨日の記事に登場した、

「追手門学院小学校」の東側にある
※(おうてもん がくいん しょうがっこう)

「豊臣時代の大坂城の石垣遺構」



現在ある大阪城の石垣は

江戸時代に徳川家が築いたもので、


豊臣秀吉が築城した大坂城の石垣は

地下深くに埋められてしまいました。



写真の石垣は

地下から発掘されたものなのですが、

実はここ以外にも豊臣石垣の遺構

展示されている場所があります。



「徳川とか豊臣とか石とか垣とか
 何言ってんだこの人?」

と気になった方は、

昨日の記事に詳細を書いてますので

こちらのリンクからどうぞ。


内容:割と普通に置かれている豊臣石垣




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その石垣の遺構というのがこちら。


中央区大手前1丁目にある、

「大阪府立男女共同参画・青少年センター」。


愛称「ドーンセンター」という

建物の北側の路地

「豊臣大坂城の石垣遺構」があります。



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それにしても長い名前の建物だなあ……。



どういう施設なのか気になったので

調べてみたところ、

普段は施設内の会議室やホールなどの

貸し出しを行っているらしい。



ドーン財団という

財団法人が運営してるので

愛称が「ドーンセンター」とのこと。


短い方がいいので

こちらの愛称を使わせていただきます。



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石垣の横に案内板を発見。

少し古いようで、やや色あせていた。


「豊臣時代大坂城
 三の丸 北端の石垣(移築復元)」

と書いてある。



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左側の説明。

豊臣大坂城の三の丸について書いてある。

要約すると以下のとおり。



「大坂冬の陣」における和解の条件として

三の丸は取り壊しとなり、埋められた。


平成元年(1989年)、

ドーンセンター建設に伴う発掘調査で

地下2mの深さの所に東西21mにわたる

三の丸の石垣遺構が発見された。




最初の方で紹介した

「追手門小学校」の豊臣石垣

三の丸の石垣遺構とのことなので、

同じ時期に埋められたものなんですね。



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右側の写真図。

発掘当時の写真のようです。

詳細は写真をご覧ください。




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真横から石垣を眺めた写真。


まっすぐ進んだすぐ先に

観光客であふれる大阪城があるけど、


ここの石垣の知名度が低いことと

狭い路地であることが重なってか、

人の姿はほとんどない。



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石垣を近くから撮影。


先ほどの案内板によると、

この石は生駒山系と六甲山系の

花崗岩を使用しているとのこと。
※(かこうがん)



現代の大阪城を支えている

江戸時代の石垣とは違い、

丸っこい石で隙間が多い。



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移築・復元した石垣だけど、

発見された当時のままの姿

再現しているそうだ。




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上の方にあったこの石だけに

切り出しの跡があった。



昔、大きな石材を切り出す時は

1.まず石材に穴を掘る。

2.穴にクサビを打ち込む。

3.クサビを叩いて石材を割る。



という技術で

石を切り出していたそうで、

写真の石の下側にあるくぼみ

その時のクサビの跡



豊臣時代の築城でも

石の切り出しってやってたのかな。


冷静に見ると、この石だけ

なんか他と雰囲気が違うな……。


……お前誰だ?



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近くで見ると

小さな石にいたるまで

丁寧に積み上げている。


こんなに間近で見られるなんて

本当にありがたい。



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反対側から眺めた写真。


正面に見える

ちぐはぐな色彩の建築物が

地味に面白くて心惹かれる。



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ドーンセンターの北側にある

「豊臣大坂城の石垣遺構」。



大阪城の北西側にあるので

大阪城を観光・散策する際は

ぜひこちらも訪れてみてください。



※この記事の写真は2018年12月に撮影したものです。


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【豊臣大坂城の石垣遺構(ドーンセンターVer)



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