※昨日は更新できませんでした。
 ごめんなさい。




この日は大阪の観光スポット

「大阪城」の周辺を散策しました。



ここからは先は前置きが長いので、

「コレ知ってる話だ」という方は

スィ~っと流し読みしてください。



0227_01

この写真は、以前訪れた時の大阪城


地元大阪では

太閤「豊臣 秀吉」が居たお城なので
※(太閤=たいこう)

「太閤さんのお城」と慕われています。



そのためか、天守閣(いわゆるお城の部分)

豊臣時代に建てられたものだと

勘違いしてしまう人もいるそうですが、


こちらは昭和6年(1931年)

再建された天守閣です。



0227_02

こちらの写真は、

以前訪れた時の大阪城の石垣



現代の天守閣を支える立派な石垣ですが

こちらは江戸時代に積まれたもので、


豊臣秀吉が築城した時代の

石垣ではありません。



……そうなってくると

「太閤さんのお城や石垣はどこ?」

となるわけですが、


豊臣時代の大坂城は

大坂夏の陣天守閣が落城・焼失



その後、江戸時代になってから

戦の勝者となった徳川家が、

豊臣の石垣を埋めに埋め尽くして

その上に新たな石垣を築きました。



太閤さんのお城の遺構は

現在、地中深くに……というわけです。



0227_03

そういった経緯にもとづいて、

天守閣へと続く頂上の広場を

発掘調査してみたら……。



深さ7m以上の地下から

豊臣時代の石垣の遺構が出てきました。



写真手前にある

井戸みたいなヤツが発掘現場ですが、

残念ながらフタで封鎖されており

通常では見る機会がありません。



……前置きが長くなってごめんなさい。


あと、スィ~って流し読みをしてきた方、

頑張って書いたのに

よくも流し読みしてくれたな。



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「豊臣時代の大坂城の石垣は貴重」

ということを上記で伝えましたが、

実は大阪城の周辺で見ることができます。


写真中央のアレがソレです。




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こちらが

「豊臣大坂城の石垣遺構」



場所は大阪城の北西、

京橋口という出入口を出た先にある

「追手門学院小学校」
※(おうてもん がくいん しょうがっこう)

東側壁面にあります。



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石垣を横から眺めてみる。


現在の大阪城に使われている

石垣とは明らかに違っていて

なんだか丸っこくてゴロゴロしている。



こちらは「野面積」という
※(のづらづみ)

自然のままの石を積み上げていく

古い様式の建築技術とのこと。



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反対側から眺めた写真。


石垣は表面部分のみで

後ろ側はコンクリートのようなもので

固められていた。



こちらの石垣は、昭和59年(1984年)

追手門小学校の東館建設時に発掘され、

それを移設・復元したもの。


豊臣大坂城「三の丸」石垣の遺構だと

推測されている。



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石材をアップで撮影。


豊臣時代の珍しい石垣なのに

壁際にポンッと展示されている。


こんなお手軽に見学できて

いいのだろうか?

とにかくありがとう。



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2つ並んだ小石。

なんかカワイイ。




0227_11

石垣の向かい側の風景。

大阪城の敷地が広がっている。


正面に進むと外堀コース

右側なら京橋口へと繋がる。



0227_12

豊臣時代の大坂城の貴重な痕跡である

「豊臣大坂城の石垣遺構」



大阪城を見学する際は、

こちらにも足を運んでみてください。



※この記事の写真は2018年12月に撮影したものです。


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【豊臣大坂城の石垣遺構】



最寄り駅は
京阪電車・天満橋駅
地下鉄・天満橋駅