この日は吹田市
※(すいた し)

阪急・豊津駅から西にある

「垂水」の町を散策しました。
※(たるみ)



スーパーで同じ名前のゼリーを

見かけたことがあると思い込んでたら

あれは「たらみ」だったよ。

自分を殴りたいです。



0220_01

そんな垂水の町の北西側

グイッと曲がってシャッと行った所に

石碑が2つ建っているのを発見。



『大きいなーこの石碑!』

『隣にも横長の石碑があるで』

『なんで石碑が集まってるんだろう?』

『さあ? この建物なんやろな?』



一緒に歩いてきた嫁のまーさんと一緒に

ひとまず建物を確認してみる。



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建物は「吹田市立 豊一市民センター」


小さなイベントや講座などを行っている

吹田市民の地域交流の施設らしい。



0220_03

石碑の方へ戻る。

まずは気になる大きな石碑から。


「旌忠記念碑」

と石に力強く刻まれていた。



『ほうちゅう?』

『ぜんちゅう?』

『読めない』

『分からへんな…』



こちらは

「せいちゅう きねんひ」

と読むそうだ。



「旌忠」とは

国家に対する忠義を指す言葉で、

こちらの「旌忠記念碑」

忠義を顕彰した石碑とのこと。




0220_04

左側のくぼみにも

文字が刻まれていた。


「元帥」って

書いてあるようにも見えるけど

達筆過ぎて読めない……。



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ちょっと狭いけど

裏側に回り込んでみる。


この記念碑は

明治39年10月に建立されたようだ。



0220_06

アップで撮影。


「従軍者」として

大勢の方々の名前が刻まれていた。



詳細は出てきませんでしたが、

グーグルマップや他のサイトなどには

「日露戦争 旌忠記念碑」

と書いてあったため、



この「旌忠記念碑」

明治37年(1904年)日露戦争に従軍した

この地域の方々の功績を記した

石碑だと思われます。



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正面に戻る。


改めて見ると

記念碑を支える石台も相当古いものだ。

明治時代からここに設置されてるのかな?



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今度はお隣の石碑。


「大阪府豊能群豊津村役場跡
 大阪府豊能群豊津村議会跡」


と刻まれている。


どうやらこの場所には昔、

豊能群豊津村
※(とよのぐん とよつむら)

村役場議会があったらしい。



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再び裏側へ。

何か書いてある。




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役場・議会の由来が刻まれていた。



昭和15年(1940年)に

豊津村・吹田町・岸部村・千里村の

一町三村が合併して

吹田市制が施行されるまで、


この地には

大阪府豊能群豊津村

村役場議会があった。



みたいなことが書いてある。

詳細は写真をご覧ください。



0220_07

正面に戻ってくる。


豊津村が豊能郡に所属したのは

明治29年(1896年)のこと。



ということは、明治39年に建立された

隣の「旌忠記念碑」

当時の村役場に建っていたんでしょうね。



ちなみに村が合併して吹田市となった後は

吹田町にあった役場が

そのまま市役所になったようです。



0220_01

明治時代の町の歴史を伝える

「旌忠記念碑」と

「豊津村役場・議会
跡の碑」。



近くを訪れたら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年11月に撮影したものです。


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【「旌忠記念碑」と「豊津村役場・議会跡の碑」】



最寄り駅は
阪急千里線・豊津駅