今回は大阪城の南東端にある、
JR環状線・森ノ宮駅周辺を
散策している時にたどり着いた
「城南公園」のお話です。
先週、記事にした
「旧町名継承碑」を発見した公園と
同じ場所になります。
先週の内容が気になる方は
こちらのリンクからご覧くださいまし。
※(見なくても、このまま読み進められます)
内容:河内の八尾に由来する町名
写真は「城南公園」の風景。
この公園の南西角で
「旧町名継承碑」という
石碑を発見しました。
先週の記事でそれを紹介したのですが、
実は他にも何かないかと思って
公園内を調べていました。
そしたらあったよ。
またまた「旧町名継承碑」だ。
まるで対になるかのように
公園の北東角にありました。
あっ、知らない方のために説明すると、
「旧町名継承碑」とは
昭和時代の区画整理で消滅してしまった
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑のことです。
こちらが
旧町名継しょ……なにこの草。
植え込みの中に石碑があると
たまにこんな感じで
草が生い茂っていて困ることがある。
しかしながら
私も最近は経験豊富になってきた。
こういう時は角度を変えて見れば
石碑を拝むことができるのだ。
草1『はい、ざんねーん!!』
草2『ウェイウェ~イッ!』
なんなのこの草ども!
完全に妨害する形で
石碑の前に居座ってるんだけど!
あの青いプレート部分に
旧町名やその経緯が書いてある。
……書いてあるけど
これはどうしたらいいんだろう?
この草具合は久々だわ。
草具合なんて言葉があるのか知らんけど。
見えない。
仕方がないので草を手でかき分けた。
なんとか確認できそうだ。
あとこの草、反発力めちゃくちゃ強い。
そして刺さる。
手の甲に刺さってくる。
けっこう痛い。
手を伸ばして横向きに撮影。
スマホを落としたら色々と終わるので
こちらも必死である。
どうやらこの辺りは昔、
「北国分町」
という町名だったようだ。
読み方は
「きたこくぶ ちょうorまち」かな。
詳細は写真をご覧ください。
「北国分町」に関するところだけ
以下に抜粋していきます。
「北国分町」
明治33年4月
大阪市東区玉造大字西玉造の町が
「北国分町」となる。
昭和54年2月
住居表示の実施にともない「北国分町」は
森ノ宮中央一丁目の一部となった。
町名の由来は
その昔、摂津の国府があったことから。
古代の大阪府中北部~兵庫県南東部は、
「摂津国」と呼ばれる場所で、
※(せっつのくに)
その国府がこの辺りにあったため
※(国府=現在の役所みたいなもの)
「国府=国分」の名が付いたとのこと。
字面だけ見ると「国分」は
国の境目のような印象がありますが、
「国府」が置かれていた場所を指す
言葉だそうです。
天王寺区(当時は南区)の方に
「国分町」ができたので、
その北に位置するこちらの町は
「北国分町」になったようですね。
公園の北東側出入口から
園内を眺めた様子。
写真右側の
草がモッサリしている所に
先ほどの継承碑がある。
多分、こっちから来たら
だれも継承碑の存在に気付かない。
城南公園の北東角にある
「北国分町」の旧町名継承碑。
ご覧の際は草をかき分けて
眺めてみてください。
※この記事の写真は2018年11月に撮影したものです。
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【旧町名継承碑「北国分町」】
※MAPの「城南公園」の北東角にあります。
最寄り駅は
JR環状線・森ノ宮駅
地下鉄・森ノ宮駅
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