この日は阿倍野区にある
※(あべの く)

阪堺電車・東天下茶屋駅の周辺を散策。
※(ひがしてんがちゃや えき)


駅から1つ東にある

ビロ~ンとふくらんだ道を

に向かって進んでいると、

とある公園に行き着きました。



0206_01

こちらがその公園。

町中でよく見かける

普通の小さな児童公園だ。



『あれ…? 入口の所にあるのって
 なんか石碑っぽくない?』

『あー、ホンマやね』

『何の石碑やろ?』



一緒に歩く嫁のまーさん

さっそく石碑に近づいてみる。



0206_02

公園内の石碑。


「経塚」
※(きょう づか)


という2文字が刻まれている。



この辺りの地域は

「松虫塚」とか「小町塚&播磨塚」とか

本当に「塚」が多いなあ。



0206_03

公園の名前は「晴明丘公園」


この阿倍野元町の町には

陰陽師として有名な「安倍晴明」
※(あべ の せいめい)

祀っている「安倍晴明神社」がある。



なので公園の名前は

安倍晴明さんが由来と思われる。



0206_04

碑から少し左側の位置に

案内板が設置されていた。


黒板みたいな色で

ちょっと珍しいタイプだ。



0206_05

右側の説明文。

詳細は写真をご覧ください。


「経塚」に関する部分だけ抜き出して

以下に書いていきます。



「経塚跡」


この「経塚」

「聖徳太子」が一字一石経を埋めた塚、

あるいは

「空海」が写経を埋めた塚
と伝えられる。


江戸時代の「摂津名所図会」には

墳丘と石柱が描かれているが

いつ頃からか墳丘は消滅


石柱のみが「大名塚」の北側に移り、
※(大名塚=現在の「北畠公園」の位置)

平成7年(1995年)石柱

この晴明丘公園に再度移転した。



どうやら「経塚」とやらは

元々、別の場所にあったようですね。



0206_06

案内板左側の絵図。

江戸時代に刊行された「摂津名所図会」

「経塚」が描かれた絵です。


右上の木が生えた3つの丘みたいなのが

それぞれ別個の塚で

一番左にあるのが「経塚」とのこと。



ちなみに「経塚」というのは

仏の教えを伝えるために経典などを埋める
※(経典=仏法を記した書物)

仏教の儀式的なものだそうで、

日本各地に同じような塚が

点在しているそうです。



「塚」と聞くと

塚=古墳=お墓とイメージしちゃうけど

そういう塚もあるんだね。



言い伝えの通りだとしたら、

聖徳太子の一字一石経とか
※(一字一石経(いちじ いっせき きょう)とは、
  経典の字を石に1つずつ書き写したものです)

空海(=弘法大使)の写経とかが

埋まってたりするのかな……?


なんかワクワクするね。



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「晴明丘公園」の様子。


経塚の碑があったり

晴明「丘」公園という名前だったり、

何かとを連想させる雰囲気があるけど

特に関連性はないみたいです。



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公園奥の植え込みに

なぜか信楽焼風の置物があった。



『タヌキだね』

『タヌキやな』

『…なんでこんなところに?』

『ウチにそれ聞くん?』



……とりあえずカワイイ。

誰が置いたんだろう?



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聖徳太子空海にまつわる伝承が残る

塚跡の存在を教えてくれる

「経塚」の碑。



塚があった場所ではありませんが

石碑が建っているので

ぜひ訪れてみてください。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【「経塚」の碑】



最寄り駅は
阪堺電車・東天下茶屋駅
阪堺電車・北畠駅