この日は阿倍野区にある
※(あべの く)
阪堺電車・東天下茶屋駅の周辺を散策。
※(ひがしてんがちゃや えき)
駅から1つ東にある
ビロ~ンとふくらんだ道を
南に向かって進んでいると、
とある公園に行き着きました。
こちらがその公園。
町中でよく見かける
普通の小さな児童公園だ。
『あれ…? 入口の所にあるのって
なんか石碑っぽくない?』
『あー、ホンマやね』
『何の石碑やろ?』
一緒に歩く嫁のまーさんと
さっそく石碑に近づいてみる。
公園内の石碑。
「経塚」
※(きょう づか)
という2文字が刻まれている。
この辺りの地域は
「松虫塚」とか「小町塚&播磨塚」とか
本当に「塚」が多いなあ。
公園の名前は「晴明丘公園」。
この阿倍野元町の町には
陰陽師として有名な「安倍晴明」を
※(あべ の せいめい)
祀っている「安倍晴明神社」がある。
なので公園の名前は
安倍晴明さんが由来と思われる。
碑から少し左側の位置に
案内板が設置されていた。
黒板みたいな色で
ちょっと珍しいタイプだ。
右側の説明文。
詳細は写真をご覧ください。
「経塚」に関する部分だけ抜き出して
以下に書いていきます。
以下に書いていきます。
「経塚跡」
この「経塚」は
「聖徳太子」が一字一石経を埋めた塚、
あるいは
「空海」が写経を埋めた塚と伝えられる。
「空海」が写経を埋めた塚と伝えられる。
江戸時代の「摂津名所図会」には
墳丘と石柱が描かれているが
いつ頃からか墳丘は消滅。
石柱のみが「大名塚」の北側に移り、
※(大名塚=現在の「北畠公園」の位置)
平成7年(1995年)に石柱を
この晴明丘公園に再度移転した。
どうやら「経塚」とやらは
元々、別の場所にあったようですね。
案内板左側の絵図。
江戸時代に刊行された「摂津名所図会」の
「経塚」が描かれた絵です。
右上の木が生えた3つの丘みたいなのが
それぞれ別個の塚で
一番左にあるのが「経塚」とのこと。
ちなみに「経塚」というのは
仏の教えを伝えるために経典などを埋める
※(経典=仏法を記した書物)
仏教の儀式的なものだそうで、
日本各地に同じような塚が
点在しているそうです。
「塚」と聞くと
塚=古墳=お墓とイメージしちゃうけど
そういう塚もあるんだね。
言い伝えの通りだとしたら、
聖徳太子の一字一石経とか
※(一字一石経(いちじ いっせき きょう)とは、
経典の字を石に1つずつ書き写したものです)
空海(=弘法大使)の写経とかが
埋まってたりするのかな……?
なんかワクワクするね。
「晴明丘公園」の様子。
経塚の碑があったり
晴明「丘」公園という名前だったり、
何かと塚を連想させる雰囲気があるけど
特に関連性はないみたいです。
公園奥の植え込みに
なぜか信楽焼風の置物があった。
『タヌキだね』
『タヌキやな』
『…なんでこんなところに?』
『ウチにそれ聞くん?』
……とりあえずカワイイ。
誰が置いたんだろう?
聖徳太子や空海にまつわる伝承が残る
塚跡の存在を教えてくれる
「経塚」の碑。
塚があった場所ではありませんが
石碑が建っているので
ぜひ訪れてみてください。
※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。
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【「経塚」の碑】
最寄り駅は
阪堺電車・東天下茶屋駅
阪堺電車・北畠駅
コメント
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