この日は大阪のターミナル駅の一つ、

「天王寺駅」南側にある、

阿倍野区王子町を訪れました。
※(あべの く)



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縦に長い王子町南端

王子町4丁目を歩いていると

地面に謎の標識を発見。



『コレ何だろう?』

『何やろね…「歴史の散歩道」って
 書いてあるけど…?』



一緒に歩く嫁のまーさん

首をかしげる。



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南北に伸びる「あべの筋」に対して

標識はなぜかを向いている。


東には狭い路地しかない。



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標識が向いている路地の風景。


……かなり細い。

エアコンの室外機とかが置いてあるため

車はまず通れないだろう。



『…ん? 電柱の横に
 石碑みたいなんあるで』

『え?』

『あっ! 本当だ!』



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路地の奥。


完全に住宅街の一角だけど

庭先みたいな所に

石碑が2本建っていた。



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よく見てみると、

電柱を挟んだ右側にも

別の石碑が2本建っている。


何者なの? この住宅街……。



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ひとまず左側の一角から確認。


左の碑には

「小町塚」

と刻まれていて、


右の碑には

「播磨塚」

と刻まれている。


どうやらここは「塚(お墓)らしい。

先日の「松虫塚」もそうだけど

阿倍野区は塚がいっぱいあるなあ。



両方の碑の手前には

祭壇みたいな物もあった。



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『ここに案内板あるで』

『遠くからだと電柱の陰に隠れてて
 気づかなかったわ』

『本当だ!』



塚の横に案内板を発見。

屋根が付いている木製看板だ。



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「阿倍野区 史跡顕彰委員会」

という委員が設置したようだ。

結構古そう。


詳しい内容は写真をご覧ください。



2つの塚について

まとめて書かれているので、


それぞれの碑を見ながら

他の史料と合わせた簡単な解説を

以下に書いていきます。



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「小町塚(こまちづか)


古書「芦分船」には

「小野 小町」の塚(墓)であると記されてるが
※(おの の こまち)

小町が阿倍野の地で没した記録は無い。


そのため「小町塚」

小野小町の美貌や才能にあやかりたい

信仰等の目的で建てた説が有力である。




お墓かどうかは定かじゃないけど、

あの有名な「小野小町」

由来する塚だということが分かった。



「小野小町」は女性の歌人で、
※(歌人=和歌や短歌を詠む人)

平安時代前期(800年~900年頃)の人物。

後宮に仕えていたとされるが、
※(後宮=后妃などの貴人が住む宮殿)

生没年の詳細など不明な部分が多い。



この塚を小野小町の墓であると記した

古書「芦分船(あしわけぶね)ですが、


こちらは「難波名所記」とも呼ばれ、

江戸時代の延宝3年(1675年)に刊行された

大坂の名所・旧跡などを記した書物です。



由来の人物が1000年以上も昔の人で、

しかも史料が少ない。

そんな人物に関する塚。


要約すると

「小野小町の塚だけどよく分からない」

という状態みたいですね。


……そもそもこの碑自体が

いつ頃に建てられたものなんだろう?



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「播磨塚(はりまづか)


南北朝時代の「住吉の合戦」

南朝の「楠木 正行」に敗れた
※(くすのき まさつら)

北朝の播磨太守「赤松 円心」の子、
※(あかまつ えんしん)

「赤松 貞範」
※(あかまつ さだのり)

戦死した播磨の将兵の遺骨を納めて

「播磨塚」を築き、冥福を祈った。



こちらの「播磨塚」

慰霊として築かれた塚のようですね。



南北朝時代1336年~1392年頃

細かく話すとややこしくなるけど

とりあえず室町時代の始まりの頃です。



700年近く前の合戦で戦死した

播磨の武士を弔った
(※播磨=現在の兵庫県)

この「播磨塚」とのこと。



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調べてみたところ、


「小町塚」「播磨塚」の両塚は

元々別の場所にあったそうで、

昭和4年(1929年)に道路が整備された際に

こちらへ移設されたとのこと。


この碑が本来建っていた

塚の正確な場所は分からないらしい。



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塚の右側。


ここにある2つの碑も気になるね。

見ていきます。




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塚の右側にあった碑、その1。


ちょっと碑文が薄くなっていて

解読しにくい……。


「以前はここより西北に
 塚碑があったけど、
 昭和4年にここへ移設した」


と、先ほど説明した

内容が刻まれているようだ。



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塚の右側にあった碑、その2。


「一金四百〇拾圓 寄附 小町
 昭和四年四月」


と刻まれている。

「〇」の部分は判読できなかった。



年代や「小町」の字から推測すると、

「小町塚」を移設した際の

寄付金について記したものだと思われる。



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塚の碑を右横から撮影。

ここからだと塚の碑が見えない……。




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ちょっと裏側におじゃましてみる。



『えらいところ入って行くなー…』

『石碑の裏側が気になる』

『後ろのお家に
 ぶつからんようにしてなー』

『大丈夫、気をつけるよ』

『ぶつからないように
 しゃがんで行ってみる』




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「播磨塚」の裏面には


「心〇……」


と刻まれていた。



……何だろう?

さすがに一文字だと分からないな。



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「小町塚」の裏面には


「清〇……」


と刻まれていた。



……分からん。

結局何も分からなかった……。



分かったことは

ここの草が思いのほかキレイな色だった。



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住宅街の一角にひっそりと佇む

「小町塚と播磨塚」の碑。


地元の方が住んでいますので

塚を訪ねる際は配慮をお願いします。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【小町塚と播磨塚】



最寄り駅は
阪堺電車・北畠駅