この日は阿倍野区にある
※(あべの く)
阪堺電車・松虫駅の周辺を散策。
「松虫通」という4車線道路の道を
歩いていた時のこと。

松虫通を西に向かって歩いていると
歩道を塞ぐような形に突き出た
玉垣のある場所が出てきました。
※(玉垣=神社の境内などを囲う柵のことです)
アレはなんだろう?

そびえ立つ大木を囲う玉垣エリア。
『あそこなんやろね?』
『ご神木系かな?』
『歩道なくなってはるで』
一緒に来た嫁のまーさんと
謎の場所に近づいてみる。

一応歩道があった。
歩行者はこの横の細道を
通り抜けていく感じになっている。
それにしても
すごい場所だなあ……。

敷地内へは階段を上がって
入れるようになっていた。
中には石碑がいくつか並んでいて、
大木の前には木組みの屋根がある。

横の方に案内板があった。
「松虫塚の伝説」
と書いてある。
ここは「松虫塚」という名前らしい。
※(まつむし づか)
※(まつむし づか)
『塚やったんか』
『塚ってことは誰かのお墓かな?』
『多分そうやろねー』
この辺りの地名は「松虫通」。
すぐそこの東西を貫く道路も「松虫通」。
最寄り駅も「松虫駅」だ。
おそらく古くからある塚で
「松虫」の名称の
元になっているのだろう。

松虫塚の伝説は色々あるけど、
その伝承は共通して
「松虫(鈴虫)の名所」であるとのこと。
詳しくは写真をご覧ください。
内容を簡単にまとめたものを
以下に書いていきます。
「松虫塚の伝説」
伝説①
二人の親友が夜道を歩いていた時、
松虫の音に聞き惚れた一人が草むらに入り
そのまま死んでしまった。
残った一人が泣く泣くこの地に埋葬した。
伝説②
およそ1200年頃、後鳥羽上皇に仕えた
松虫・鈴虫という姉妹女官がいた。
後にその松虫(松虫の局)がこの地で余生を送った。
伝説③
琴の名手の女性がこの地に住んでいた。
自身の才を発揮した琴の音でも
松虫の自然の音には及ばないと嘆き、
女性は詩を吟じて琴を捨てた。
伝説④
この地に次郎右衛門という人が住み、
生涯に渡り、松虫の音を愛でた。
かつては松虫(鈴虫)の音が響き渡る
風流な場所だったようですね。
お墓としての「塚」の伝承は
一番最初に登場した
「親友を埋葬した」という話かな?

反対側の道から撮影。
1980年代に道路の拡張工事があり
松虫塚が撤去されそうになりましたが、
地域住民の運動によって残され
現在の姿となったそうです。
その経緯でこんな風に歩道が
変わった形になったんだね。

「奉納」と刻まれた石板。
これがあると何となく神社っぽい。

松虫塚のことが分かったところで
敷地に入ってみることに。
玉垣や石柱の上部に
黒く焦げた跡があった。
昭和の空襲による焼け跡だろうか。

敷地内には松虫塚にまつわる
碑がいくつも並んでいた。
『この手前の石碑って
大阪市が植えてるヤツだね』
『植えてるって…』
『でもたしかによく見るヤツやね』

大阪市が植えてる碑の碑文。
こちらの説明では、
「松虫塚は通り掛かりの旅人が
命絶えたため、供養したもの」
となっている。
案内板の最初に登場した
「親友を埋葬した話」と一緒と思われる。
大阪市が植えてるので
「大阪市」と刻まれている。

奥にあった石碑。
「親友を埋葬した」という話は
古今和歌集に収録されているもので、
ここに書かれた碑文は
その一文を記したもの。

奥の横にも碑。
真っ黒に焦げている。
こちらも「松虫塚」と刻まれている。

大きな石碑もあった。
こちらもやはり「松虫塚」。

大木の前にある屋根付き。
こちらにも碑が置かれている。

大木の前の碑。
『あれもこれも
「松虫塚」って書いてるね』
『なんでこんなにあるんやろなー?』
『字体が違うのもあるから
時代毎に設置されてるのかな』
『そういえば全部
石碑の形も違うなー』

大木前の碑の足元。
「丸山連合町会」というところが
管理しているとのこと。
管理ありがとうございます。

大木に生えていた立派なキノコ。
『キノコだー!』
『すごいなー!
なんやろコレ…』
『サルノコシカケに
ちょっと似てはるな…』
『食べてみ』
『絶対イヤや!』
『体が大きくなるかもよ』
『マリオとちゃうねんで!
大きくなったら屋根壊れるで!』
まーさんが巨大化して屋根を壊したら
管理している方々に申し訳ないので
キノコは眺めるだけにしておいた。

横から見た大木。
かなり大きい。
神社じゃないので注連縄は無いけど
立派なご神木様だ。

大木の裏側。
裏側にもキノコが生えていた。

「松虫塚」の中には
水のオアシスもある。

先ほど敷地の外から見た
「奉納」石板の裏側。
松虫塚の由緒が刻まれている。
どうやら後ろの大木は
「七不思議の神木」と
呼ばれているらしい。
伝説がいっぱいある塚に
不思議なことが急に7つ増えたぞ。

最初に見た案内板の裏側。
こちらの案内板は
平成5年の春に設置したようだ。

塚の一番奥には
小屋のような建物があった。
おそらく塚を管理するための
掃除用具などが入っているのだろう。
松虫塚を綺麗にしてくれて
ありがとうございます。

お賽銭入れが見当たらないため、
ご神木にお礼だけして
「松虫塚」を出る。

「松虫塚」の位置から
私達が歩いてきた道を撮影。
少し先には踏切があって
阪堺電車の路面電車(チンチン電車)が
道路を横切るように
走っていく姿が見える。

「松虫塚」の位置から
道路を挟んだ向かい側。
道路を挟んだ向かい側。
「まつむしSOCO」という名前の
青果店にお客さんが群がっていた。
繁盛しているようだ。

大昔からの伝承が残り、
現在も地域の名称などに使われている
松虫通の「松虫塚」。
近くを通り掛かることがあったら
ぜひ訪れてみてください。
※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。
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【松虫塚】
最寄り駅は
阪堺電車・松虫駅
阪堺電車・東天下茶屋駅
コメント
コメント一覧 (2)
コメントありがとうございます。
本当に「え…? んん?」みたいな感じになる伝説ですよね。
記事を楽しんでいただけたようでとても嬉しいです。