この日は大阪市の北にある
「吹田市」を訪れました。
※(すいた し)
場所は昨日の記事と同じ
「垂水町」から。
「たるみ ちょう」と読みます。

こちらは阪急・豊津駅から
※(とよつ えき)
西に進んだ所にある
商店街の「豊津商店会」。
店舗が建ち並ぶこの道を歩いていた時、
史跡を示す案内板を発見しました。

それがこちら。
『なんか案内板っぽいのあるで』
『・・・・・・』
『バイク…月極駐車場…?』
『下! その下の銀色のヤツ!』
『ってか分かるやろ!』
一緒に歩いていた嫁のまーさんが
案内板を先に見つけたので
悔しいからボケてみた。

こちらが案内板。
「上の川旧水路跡」
※(かみのかわ
きゅう すいろ あと)
と書かれている。
『ま゛ッ!!??』
『…え? どうした?』
『ケムシっ!』
『案内板の下にケムシっ…!!』
読もうとした案内板のすぐ下に
毛虫がうごめいていたため、
まーさんがすごい勢いで逃げ出した。
そういうわけで
この水路跡を発見した手柄は
私のモノである。
……ちなみに、
毛虫君の登場はちょっとアレなので
モザイクで隠しておいたよ。

気を取り直して案内板を……。
詳細は写真をご覧ください。
簡単な内容を以下に書き出します。
「上の川 旧水路跡」
かつてこの場所には
天井川である「上の川」があり、
※(天井川=平地よりも高い位置にある川)
ここに水路跡を原寸大で再現した。
当時の「上の川」は
合流する「糸田川」と共に
毎年のように氾濫を起こしたため、
水路の改修工事が行われた。
昭和17年(1942年)に改修が終わり、
両川は現在の姿となった。
天井川だった「上の川」の堤には
※(堤=土手・堤防のこと)
エノキ(榎木)の大木があった。
この場所には昔「上の川」という名の
川が流れていたんですね。
川が氾濫すると
垂水の町一帯に床上浸水などの
大きな被害が出たため、
改修工事が行われたとのこと。
改修工事が行われたとのこと。
現在、阪急・豊津駅に
沿うような形で流れている川が
改修後の姿ということになるのかな?

「水路跡を原寸大で再現した」
と書いてあったので上を眺めてみると、
長方形の枠組みを発見。
これが「上の川旧水路跡」だ。
これが「上の川旧水路跡」だ。
正式には
「上の川旧水路跡」のモニュメントなので
「上の川旧水路跡」のモニュメントなので
「上の川旧水路跡の跡」という
若干ややこしいモノになる。
天井川っていうけど
すごく高い場所を流れてたんだなあ……。
説明にあった通り、幅の狭い川だね。
この辺りは丘陵地の平地部分で、
※(丘陵地=小山のような地形)
土砂の流入を防ぐために
堤防を繰り返し積み重ねていった結果
川の位置が高くなったらしい……。
なかなか想像しにくいけど
天井川はそうしてできるのだそうだ。

案内板に戻って、左側の写真。
モニュメントになる前の
「上の川旧水路跡」の様子だ。
中央の白い壁のような物体の上に
空いている四角い穴が水路跡。
その上には当時あったという
エノキの大木の姿が確認できる。
<2010年のストリートビュー>
過去のgoogleストリートビューを見ると
案内板の写真と同じ水路跡があった。
当時の様子がよく分かる。

少し離れた所から撮影。
現在、水路跡の上には
「アリビオ千里豊津」という
綺麗なマンションが建っている。
平成26年(2014年)に
このマンションが建設されたため
水路跡は姿を消したものの、
事業者の方がモニュメントと
案内板を残してくれたとのこと。
『…ケムシもうおらん?』
『どっかいったよ』
『あー、よかった』
『それよりあそこの四角い枠
水路の跡だって』
『…んぁ?』
『…また騙そうとしてるやろ?
なんであんな高い所に水路があんねん』
『本当だって! 説明読んでみなよ』
『どーせケムシおるんやろ…』
恐る恐る案内板に近づいたまーさんが
説明を読みながら
何度も水路跡を確認していた。
どーだ思い知れ。

横からマンションを見上げた写真。
「堤」を再現しているのか
土手のような形をしている。

かつての水路の痕跡を示す
「上の川旧水路跡」のモニュメント。
豊津商店会の通りにあるので
ぜひ訪れてみてください。
※この記事の写真は2018年11月に撮影したものです。
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【「上の川旧水路跡」のモニュメント】
最寄り駅は
阪急・豊津駅
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