この日は大阪市の北側に位置する

吹田市を訪れました。
※(すいた し)


1970年の大阪万博の開催地として

知られている市で、

「太陽の塔」があるのもココ。



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ここは吹田市内の少し南側にある

阪急・豊津駅の駅前。
※(とよつ えき)



この駅舎? の出入口の

すぐ向かい側を見ると……。



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植え込みの中に

公共施設の表示街の地図があり、

その中に紛れるように

石碑と看板らしきものが建っていた。



『アレなんやろね?』

『…んー? あっ!
 石碑みたいヤツがある』

『俺が先に見つけた!』

『何言うてん!
 ウチが先に見つけたっちゅーねん』



一緒にいた嫁のまーさん

先に石碑の存在に気づいたけど、

譲り合いとかそういう精神のアレで

が最初に見つけたことになった。

やったね。



0116_03

石碑と案内板。


……石碑?

石碑かなコレ?


何かが刻まれているけど読めない。

案内板を確認しよう。



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こちらが案内板

昭和60年3月

吹田市教育委員会が設置したらしい。


タイトルには

「糸田橋石柱(明治36年)
※(いとたはし せきちゅう)

と書かれている。



看板の文字が薄くなっていて

読みにくいけど

詳細は写真をご覧ください。

以下に簡単な内容をまとめます。



「糸田橋 石柱」


この「いとたはし」と刻まれた石柱は

阪急・豊津駅西出口の路上に

埋没していたのを掘り出して移設したもの。


「糸田橋」

改修前の
「糸田川」に架かる橋だった。


天井川であった「上の川」とともに
※(天井川=平地よりも高い位置にある川)

度々氾濫して住民に被害を及ぼすので、

昭和16年(1941年)

糸田川・上の川の両川を改修した。


当時の「糸田橋」は欄干がなく、

長さ5~6メートルの板石を

4~5本並べて吹田街道に架けられていた。



石柱の正体は

「糸田橋」の名を示すモノでした。


欄干がない簡素な橋で

親柱などが無かったため、
※(親柱=橋の名前などが記された太い柱)

目印として橋のたもと辺りに

橋名を掘った石柱を建てたんでしょうね。



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案内板、左下の地図。


糸田橋があった頃の地図と思われる。

薄くなりすぎてよく分からない……。



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「糸田橋」の石柱。

説明を読んでから確認すると

たしかに「いとたはし」

刻まれているように見える。



明治36年(1903年)

設置されたとのことだけど、

埋没していたせいか保存状態が良い。



ところでなぜ埋まっていたのだろう?

川の氾濫で埋没したのか、

または改修時に埋めてしまったのか。

理由は分からない。



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『なんか…斜めに刺さってるね』

『そう言われたら
 少し左に傾いてるような…』

『酔っぱらいが蹴ったんと
 ちゃうやろなコレ…』

『でもしっかり埋まってるよ』

『うーん…なんやろなあ』



左に傾いているのが

とても気になる……。

気になりすぎて夜しか眠れない。



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石柱の左側面。

何か刻まれているように見えるけど

草どもが邪魔で判読できず……。




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草A「ウェーイッ!」

草B「ソイソーイッ! ウェーイッ!」



石柱の右側面……こっちもの魔の手が。

このままヤツら

埋め尽くされないことを祈る。



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改修される前の糸田橋の痕跡を示す

「糸田橋石柱」。


阪急・豊津駅をご利用の際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年11月に撮影したものです。


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【糸田橋石柱】



最寄り駅は
阪急・豊津駅