この日は阿倍野区
※(あべの く)

ほぼ中央を南北に貫く

「あべの筋」沿いの道を散策。



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天王寺駅方向からあべの筋沿いを

へ歩いて行き着いた

「王子町2丁目」


静かな町並みが広がる中、

植え込み内に一つの看板を発見しました。



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大阪市教育委員会

設置している案内板だ。


史跡や何かの跡地に置かれていて

大抵、石碑などがセットで並んでいるけど

今回はこの案内板だけのようだ。



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案内板には

「梶井基次郎 旧居跡」
※(かじい もとじろう
  きゅうきょあと)

と書かれている。



『んー、誰だろう?
 知ってる?』

『ちょっと分からへんなあ…』

『でも写真があるから
 多分、近世の人なんやろね』



も一緒に歩く嫁のまーさん

残念ながら覚えの無い名前。


ひとまず、案内文を確認することに。



0115_04

「檸檬(れもん)などの
 短編小説で知られる梶井基次郎は~~』



『檸檬!』

『檸檬!』


『なんか知ってる!』

『教科書にあった気がする!』

『どんな内容だっけ?』

『内容は覚えてへん…』

『でもなんか檸檬って名前の小説は
 見覚えある!』



「檸檬」のタイトルを見て

二人共ほぼ同時に声を上げた。



なぜタイトルだけ

記憶に残っていたのか考えたところ、


おそらく人生において

「レモン」の漢字である「檸檬」

初めて目にすることになるのが

この作品だからだろう。


ということで結論づいた。



0115_05

案内文を拡大した写真。

詳しくは写真をご覧ください。

簡単な内容を以下にまとめます。



『梶井基次郎 旧居跡』


梶井基次郎は昭和初期に活動した小説家
※(かじい もとじろう)

「檸檬」などの短編小説を発表するが

その生涯は31年と短く、作品も少ない。


生まれは大阪市西区土佐堀

京都、東京、伊豆湯ケ島温泉など

二十数度の転居を繰り返した後、

阿倍野区王子町に移り住んだが

昭和7年(1932年)、肺結核で没した。


没後に評価が高まり、

文学界に大きな影響を与えた。



案内板によると

この場所から少し東の所に

梶井基次郎さんの旧居があったようです。


わずか1年ほどの定住だったようですが

生涯を閉じた場所なので

ここに案内板が建てられたんですね。



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案内板の左側。

梶井基次郎さんの写真。

撮影場所は兵庫県川辺郡稲野村とある。



調べてみると、

若い頃から放蕩な性格で

退廃的な生き方をしていたようです。


結核を患ってしまい、

自身を脅かす病気への

不安や恐怖に駆られた心情を

吐露するかのように書き綴ったのが

「檸檬」の作品でした。




……青空文庫に

梶井さんの「檸檬」があったので

改めて読んでみたのですが、


レモンを爆弾に見立てるくだりとか

すごく覚えがある内容なので

学生の頃にこの作品、読んでますね。


すっかり忘れていた。

ごめんなさい……。


でも、こういう巡り合わせで

作品を思い出せるのって嬉しいですね。




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「あべの筋」の通り。

案内板がポツンと建つだけで

周囲に旧居を示すモノは何もない。



少しこの場所からは離れますが

梶井基次郎さんのお墓

大阪市中央区中寺2丁目の

「常國寺」さんにあります。
※(じょうこく じ)


代表作の「檸檬」にちなんで

お墓にレモンをお供えするという

愛読者たちの風習があるそうです。



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小説家・梶井基次郎が没した旧居の存在を伝える

「梶井基次郎旧居跡」の案内板。


近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【梶井基次郎旧居跡】



最寄り駅は
阪堺電車・東天下茶屋駅