この日は中央区にある

「玉造」の町を散策。
※(たまつくり)



前回(先週分)の旧町名継承碑

玉造からでしたが、

今回も同じ町からです。



前回の記事が気になる方は

こちらのリンクからどうぞ。
※(このまま読み進めても問題ありません)


内容:「しののめ」って読むよ。




0107_08

こちらは前回の記事の写真。


場所は玉造駅から

「長堀通」西へ歩き、
※(ながほり どおり)


「空堀町」の標識が立つ交差点を

に曲がった坂道



写真左端に見える石碑が

前回紹介した

「東雲町一~三丁目」の旧町名継承碑で、



それを通り越して

坂道を上っていくと……。



0114_01

レンガ造りの塀のような物体の横。

植え込みの中にまた新しい

「旧町名継承碑」
を発見。


継承碑が沢山あるなー、この坂道。



0114_02


『そもそも旧町名継承碑って何?』

という方のために説明すると、


こちらは

昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑。



これと同じ形をした石碑が

大阪市内の色々な場所にあるので

散歩とかが好きな人は

探しながら歩くと面白いかも。



0114_03

プレートによると、この辺りは昔

「仁右衛門町」

という町名だったようだ。



読み方は

「にえもん ちょう」……かな?


相変わらずふりがなが無いので

どう読んでいいか悩むなあ。



0114_04

詳細については写真をご覧ください。

「仁右衛門町」に関わる部分のみ

以下に抜粋していきます。



「仁右衛門町」


明治33年4月
大阪市東区に編入された
玉造大路西玉造字仁右衛門町と清堀が
「仁右衛門町」となった。

昭和54年2月
住居表示の実施にともない「仁右衛門町」は、
玉造二丁目・上町一丁目の各一部となった。

町名の由来は
藤堂仁右衛門の屋敷があったため、
とする
説があるが定かではない。



上記の詳細は間近な時代の

「仁右衛門町」だけを抜粋したけど、

この町名は少なくとも

明治初頭から続く名前だったようですね。



町名の由来に登場した

「藤堂 仁右衛門」とは
※(とうどう にえもん)

「藤堂 高刑」の通称で、
※(とうどう たかのり)


築城の名手として有名な武将

「藤堂 高虎」の甥にあたる人物。
※(とうどう たかとら)



由来の人物が「にえもん」なので

町名の読み方はやっぱり

「にえもん ちょう」で合ってるのかな?



色々と調べていたら

豊臣政権五奉行の一人として知られる

「増田 長盛」の通称、「仁右衛門」
※(ました ながもり)

町名の由来とする説も出てきた……。

誰かタスケテ。



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継承碑の位置から

上ってきた坂道を眺める。


レンガ造りの塀のようなヤツだけど

よく見たら塀じゃない。

……なんだこれ?



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継承碑が建つ坂道。

写真右側に見える建物は

「大阪女学院西館 法人事務部」。


地図で確認すると

道の東側は大阪女学院の敷地のようだ。

かなり広い。



ちなみにこの道をまっすぐへ進むと

大阪城の前に出るよ。



0114_07

昭和後期に消えてしまった町名を

現代の人々に伝える

「仁右衛門町」の旧町名継承碑。


近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年11月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「仁右衛門町」】

※MAPの「大阪女学院法人本部」前、歩道脇の植え込みにあります。


最寄り駅は
JR環状線・玉造駅
地下鉄・玉造駅
地下鉄・谷町六丁目駅