この日は阿倍野区にある
※(あべの く)
阪堺電車・松虫駅の周辺を散策。
阿倍野区のほぼ中央を南北に走る
「あべの筋」と交差している
「松虫通」を通っていると……。

歩道の脇の……なんだこれ?
歩道の横の路地?
横路地かな?
変わった土地だな。
……まあいいや。
そういう場所で石碑を発見したよ。

何かが刻まれた大きな石碑と、
解説用らしき小さな石碑。
『後ろのデカイのは残念石かな?』
※(残念石=江戸時代、大坂城の石垣に使用するため
各地から集められた巨大な石材。
色々あって使われなかった残念な石ころ君)
『なんか質感が違う気もするけど…』
『そういえばちょっと色が濃いな』
『小さい石碑は近代のやろね』
『形がしっかりしてるし
そんな感じだねぇ』
石を遠くから眺めてブツブツと呟く
私と嫁のまーさんの姿は
傍から見るとさぞ不気味だろう。

大きい方の石碑。
「百千の」
という詩のようだ。
百千の草葉もみぢし
野の勁き琴は 鳴り出づ
哀しみの
熟れゆくさまは
酢き木の実
甘くかもされて 照るに似たらん
われ秋の太陽に謝す
草葉が枯れていく物悲しい情景を詠いつつ
秋の実りを太陽に感謝する。
……そんな詩だろうか。
作者は「伊東 静雄」という人物。
『…この人、知ってる?』
『んー、ちょっと分からへん』
私もまーさんも知らない人物だけど
これは詩碑だということが分かった。

手前の小さな石碑。
伊東静雄さんの経歴が記されていた。
情報量が少なかったので
他の史料も調べてみた。
「伊東 静雄(いとう しずお)」
明治後期から昭和初期の詩人。
明治39年(1906年)、長崎県に生まれる。
大学を卒業後に来阪して
住吉中学校(現在の府立住吉高等学校)の
国語科の教職に就く。
生涯教員を務めながら詩作を続け、
多くの詩人や著名人に影響を与えた。
昭和28年(1953年)、肺結核により没。
近代における詩の文学で
著名な方だったようですね。

碑の裏側。
昭和59年3月に大阪市が建立。
大阪市では昭和54年から
文学碑建立委員会という委員が設立されて
大阪市に所縁のある文学者の
顕彰碑を建てているらしい。
顕彰碑を建てているらしい。
この「伊東静雄の文学碑」もその一つ。

伊東静雄さんと松虫通に
特に関係性はないそうで、
ここから東にある阪南町に
※(はんなん ちょう)
少しの間下宿していた経緯から
ここに碑が建てられたとのこと。
「せっかくだから赴任していたという
住吉高校に設置すればいいのに」
……と思って調べてみたら、
すでに別の碑が設置されてるとのこと。
高校の敷地内にあるらしいけど
学校関係者以外には目につかないので
この場所へ新たに設置したのは
良い判断だと思う。
実際目に留まったわけだし。
ありがとう、なんとか委員会!
ありがとう、なんとか委員会!

大阪の旧住吉中学校で教職を務めていた
詩人の功績を伝える
「伊東静雄の文学碑」。
近くを通り掛かったら
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。
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【伊東静雄の文学碑】
最寄り駅は
阪堺電車・松虫駅
阪堺電車・東天下茶屋駅
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