この日は阿倍野区にある
※(あべの く)

阪堺電車・松虫駅の周辺を散策。


阿倍野区のほぼ中央を南北に走る

「あべの筋」と交差している

「松虫通」を通っていると……。



0103_01

歩道の脇の……なんだこれ?

歩道の横の路地?

横路地かな?

変わった土地だな。


……まあいいや。



そういう場所で石碑を発見したよ。



0103_02

何かが刻まれた大きな石碑と、

解説用らしき小さな石碑



『後ろのデカイのは残念石かな?』
※(残念石=江戸時代、大坂城の石垣に使用するため
      各地から集められた巨大な石材。
      色々あって使われなかった残念な石ころ君)

『なんか質感が違う気もするけど…』

『そういえばちょっと色が濃いな』

『小さい石碑は近代のやろね』

『形がしっかりしてるし
 そんな感じだねぇ』



石を遠くから眺めてブツブツと呟く

嫁のまーさんの姿は

傍から見るとさぞ不気味だろう。



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大きい方の石碑。

「百千の」

という詩のようだ。



百千の草葉もみぢし
野の勁き琴は 鳴り出づ

哀しみの
熟れゆくさまは
酢き木の実
甘くかもされて 照るに似たらん

われ秋の太陽に謝す



草葉が枯れていく物悲しい情景を詠いつつ

秋の実りを太陽に感謝する。


……そんな詩だろうか。


作者は「伊東 静雄」という人物。



『…この人、知ってる?』

『んー、ちょっと分からへん』



まーさんも知らない人物だけど

これは詩碑だということが分かった。



0103_04

手前の小さな石碑

伊東静雄さんの経歴が記されていた。


情報量が少なかったので

他の史料も調べてみた。



「伊東 静雄(いとう しずお)


明治後期から昭和初期の詩人

明治39年(1906年)、長崎県に生まれる。


大学を卒業後に来阪して

住吉中学校(現在の府立住吉高等学校)

国語科の教職に就く。


生涯教員を務めながら詩作を続け、

多くの詩人や著名人に影響を与えた。


昭和28年(1953年)、肺結核により没。



近代における詩の文学で

著名な方だったようですね。



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碑の裏側。

昭和59年3月に大阪市が建立。



大阪市では昭和54年から

文学碑建立委員会という委員が設立されて

大阪市に所縁のある文学者の

顕彰碑を建てているらしい。


この「伊東静雄の文学碑」もその一つ。



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伊東静雄さん松虫通

特に関係性はないそうで、


ここから東にある阪南町
※(はんなん ちょう)

少しの間下宿していた経緯から

ここに碑が建てられたとのこと。



「せっかくだから赴任していたという
 住吉高校に設置すればいいのに」

……と思って調べてみたら、

すでに別の碑が設置されてるとのこと。



高校の敷地内にあるらしいけど

学校関係者以外には目につかないので

この場所へ新たに設置したのは

良い判断だと思う。


実際目に留まったわけだし。

ありがとう、なんとか委員会!



0103_02

大阪の旧住吉中学校で教職を務めていた

詩人の功績を伝える

「伊東静雄の文学碑」。



近くを通り掛かったら

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【伊東静雄の文学碑】



最寄り駅は
阪堺電車・松虫駅
阪堺電車・東天下茶屋駅