※昨日、一昨日と
 多忙で更新できませんでした。
 ごめんなさい。





本日は、以前記事にした

「心斎橋筋商店街」

訪れた時の話です。



心斎橋筋商店街については

こちらのリンクからどうぞ。
※(見なくても、このまま読み進められます)


内容:ブランド店が建ち並ぶアーケード


内容:上の続き





1227_01

こちらは

心斎橋筋商店街のアーケードの間。

幹線道路の「長堀通」に繋がる場所で、
※(ながほり どおり)

地下鉄・心斎橋駅の地上あたり。



大阪で暮らす人なら

一度は通ったことがあるはず。



1227_02

駅名や商店街にも名前が使われ、

大阪ミナミの繁華街として

観光客にも知られる「心斎橋」



名前の通り「心斎橋」という

「橋」が由来だけど、

肝心の橋らしき物は周囲にない。



1227_03

……と思いきや、実は写真にある

横断歩道の中央分離帯

あの石畳の部分が「心斎橋」です。



正確には心斎橋の跡地で、

心斎橋筋商店街の記事にもそう書いたけど

大阪市が「橋」とみなしているため

ここは今でも橋なんだとか。



1227_04

横断歩道の南側を向いた所にある

心斎橋の石碑。

ここに心斎橋のことが書かれている。




1227_05

心斎橋の碑文。


以下に内容を簡単にまとめて

記していきますが、


より詳細を知りたい方は

写真をなんかこう拡大とかして

なんとかご覧ください。



「心斎橋」


元和8年(1622年)頃、

商人の美濃屋・岡田心斎が中心となって
※(みのや・おかだ しんさい)

町橋となる「心斎橋」を長堀川に架けた。
※(町橋とは、町人が出資して管理する橋のこと)


明治6年(1873年)に、

ドイツから輸入した

鉄製弓形トラス橋に架け替えられた。


明治42年(1909年)に、

石造2連アーチ橋に架け替えられた。





心斎橋の名称は商人の岡田心斎さんから

取ったものだったんですね。



ここには書いてませんが、

昭和37年(1962年)

「長堀川」が埋め立てられたことで

心斎橋は撤去されました。


撤去から2年後の昭和39年(1964年)

長堀通に造られた陸橋

橋の一部だけが移設。



さらに平成9年(1997年)になって

地下街の「クリスタ長堀」が完成して

現在の形になりました。



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右側の碑文。

「ガス灯の原理と歴史」

と書いてある。



石碑の上にあった街灯みたいなアイツは、

明治42年の石橋時代の心斎橋に

設置されていたガス灯で、

それを一部修復・復元したものだそうだ。



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街灯みたいなアイツはコイツ。


明治時代のガス灯だったんだ。

綺麗に修復されてるから分からなかった。



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碑文の上には

3枚の円形レリーフが並んでいる。

移り変わった心斎橋の絵図だ。




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「江戸時代の木橋」


1614~15年、大坂の陣の後

岡田心斎さんが仲間と長堀川を開削して

自分の家の近くに架けた始まりの心斎橋



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「明治6年の鉄橋」


架橋当時は、橋脚がない珍しい橋として

人々から注目されたそうです。


この鉄橋は鶴見緑地公園

「緑地西橋」という名で現存しています。



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「明治42年の石橋」


この石橋のガス灯欄干の一部

「現在の心斎橋」に残されています。



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石碑の場所から

心斎橋を眺めた風景。


よく見てみると

たしかにガス灯橋の欄干がある。



……関係ないけど

写真右端に伊藤園のトラックが見切れてる。



1227_12

横断歩道の脇。

「心斎橋」

と古い字で刻まれている。

移設された親柱のようだ。
※(親柱=橋の名前などが記された太い柱)



……関係ないけど

伊藤園の人出てきた。



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親柱の横にも何か書いてあるようだ。





1227_14

アップにした写真。


「大阪市南区東神田町
 石工棟梁
 野田寅次郎

 伊豫國越智郡大島
 石材〇〇人
 宮窪石材販賣部」


「〇〇」の箇所は判読できなかった。


石橋の心斎橋を建設した人と

石材の産地が刻まれているようだ。



伊豫國=伊予国は愛媛県。

そういえば、さっきの石碑にも

「愛媛県の良質な御影石を用いた」

と書いてあったなあ。



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親柱の裏側(道路側の面)にも

「心斎橋の由来」

と書かれたプレートを発見。



石碑の碑文と似た内容なので

ここでは割愛。



1227_16

信号を渡って

心斎橋にいってみる。




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ここが「心斎橋」


模様がついた石の手すりと

左右に見える街灯が

明治時代の石橋の欄干とガス灯。




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反対側。


長堀通の広い中央分離帯なので、

途中で信号が変わってしまって

ここで足止めされてる人をよく見かける。



信号待ちの間、友達とかに

「ここ、心斎橋の橋があった場所だよ」

って教えるといい時間潰しになるかも。



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奥に見えていた

ガラスドームみたいなヤツ。


地下街・クリスタ長堀

天井部分だと思われる。



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信号を渡って橋の北側へ。

あまり橋っぽくないので

北詰と呼んでいいか悩む……。



こちらにはもう一方の親柱があった。

「しんさいばし」

と書いてある。



1227_21

少し離れた所から親柱を撮影。

「明治42年10月」


明治後期に架け替えられた

石橋の一部であることを示している。



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おそらく多くの人が

「心斎橋」だと知らずに歩く「心斎橋」



この場所を通り掛かった時に

思い出してもらえると嬉しいです。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【心斎橋】

※MAPの「キュープラザ心斎橋」近くの横断歩道です。


最寄り駅は
地下鉄・心斎橋駅