この日は福島区にある

地下鉄・野田阪神駅の周辺を散策しました。


福島区から此花区の方へと続く

「北港通」という
※(ほっこう どおり)

大通りを歩いていると……。



1224_01

柵に囲まれた敷地に食い込むように

石碑が2つ並んでいるのを発見。




1224_02

左側の白い碑が

「旧町名継承碑」



右側の碑は

「水防碑」

と刻まれている。



別々の内容の碑だけど

地面が綺麗に舗装されているので、

おそらくここに「碑カテゴリ」として

まとめて設置されたのだろう。



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まずは「旧町名継承碑」から。


知らない方のために説明すると、

こちらは昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑。



中央の青いプレート部分

旧町名の由来や町の変遷が書かれている。



1224_04

この辺りは昭和50年頃まで、

「江成町」

という名前だったようだ。


読み方は

「えなり ちょう」



詳しくは写真をご覧ください。

「江成町」に関わる部分のみ

以下に抜粋していきます。



「江成町」


大正14年4月
西野田江成町が此花区に編入され
「江成町」となった。

昭和18年4月
「江成町」が福島区に編入された。

昭和50年9月
住居表示の実施にともない「江成町」
吉野二~四丁目、大開一丁目の各一部となった。

町名の由来は
西成野田の当時の小字名による。
※(小字名=町名をさらに細かく分類したもの)



明治時代、この辺りの名称だった

「西成野田」「江成」という

地域があったのが町名の由来とのこと。



あまり答えになってないなあ……。

「江成」の名称自体は

どういう由来なんだろう?


字のままで考えると

入りっていた場所、とかかな?



ちなみにかつて

大阪市電・野田線という路線に

「江成町駅」がありましたが、

昭和の戦時に廃線となったそうです。



1224_05

一方、お隣の水防碑
※(水防碑=すいぼうひ)


「災害は
 忘れたころに
 やってくる」


と書いてある。



こちらは「災害記念碑」とも呼ばれ、

地震、水害、火災などの発生によって

大規模な被害があったことを

後世のために記した石碑とのこと。


日本全国に存在していて、

石の形は地域によって様々なようだ。



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水防碑の裏側。

柵との間隔が狭くて

上手く写真が撮れなかった……。



少し碑文が読みにくいけど

台風による水害について書かれている。

簡単にまとめます。



「水防碑の碑文」


福島区は台風に伴う高潮によって

水害に見舞われたが、なかでも

昭和9年(1934年)の室戸台風、

昭和25年(1950年)のジェーン台風、

昭和36年(1961年)の第二室戸台風

によって多くの人命と財産を失った。


人々が水防意識を高めることを祈って

ここに水防碑を建立する。

昭和53年秋、大阪市。



昭和に発生した猛烈な台風は

強風の被害だけでなく、


高潮による水位の上昇で

避難が間に合わずに

多くの方々が犠牲となりました。


後世の人々が同じ被害に遭わないために

防災意識を強く持ってほしいと願って

建てられた碑なんですね。



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裏側から北港通を眺めた写真。


石碑の内容が違うので

本来なら別々の記事にするべきだけど、

あまりに近くにあるので

今回は一緒に紹介しました。



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2つの石碑の近くには

福島消防署、福島警察署、

福島区民センターなどといった

区の施設がある。



水防碑は以前、福島区民センター付近に

設置されていたみたいだけど、

表通りに移動したようだ。


防災の教訓となる碑なんだから

人目につく場所の方がいいものね。



1224_09

昔の町名を示す

「江成町」の旧町名継承碑と、


防災の大切さを伝える

「水防碑」



近くを通りかかった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。


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【「江成町の旧町名継承碑」と「水防碑」】



最寄り駅は
阪神・野田駅
地下鉄・野田阪神駅