この日は福島区にある
地下鉄・野田阪神駅の周辺を散策しました。
福島区から此花区の方へと続く
「北港通」という
※(ほっこう どおり)
大通りを歩いていると……。
柵に囲まれた敷地に食い込むように
石碑が2つ並んでいるのを発見。
左側の白い碑が
「旧町名継承碑」。
右側の碑は
「水防碑」
と刻まれている。
別々の内容の碑だけど
地面が綺麗に舗装されているので、
おそらくここに「碑カテゴリ」として
まとめて設置されたのだろう。
まずは「旧町名継承碑」から。
知らない方のために説明すると、
こちらは昭和時代の区画整理で消滅した
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑。
中央の青いプレート部分に
旧町名の由来や町の変遷が書かれている。
この辺りは昭和50年頃まで、
「江成町」
という名前だったようだ。
読み方は
「えなり ちょう」。
詳しくは写真をご覧ください。
「江成町」に関わる部分のみ
以下に抜粋していきます。
「江成町」
大正14年4月
西野田江成町が此花区に編入され
「江成町」となった。
昭和18年4月
「江成町」が福島区に編入された。
昭和50年9月
住居表示の実施にともない「江成町」は
吉野二~四丁目、大開一丁目の各一部となった。
町名の由来は
西成野田の当時の小字名による。
※(小字名=町名をさらに細かく分類したもの)
明治時代、この辺りの名称だった
「西成野田」に「江成」という
地域があったのが町名の由来とのこと。
あまり答えになってないなあ……。
「江成」の名称自体は
どういう由来なんだろう?
字のままで考えると
入り江と成っていた場所、とかかな?
ちなみにかつて
大阪市電・野田線という路線に
「江成町駅」がありましたが、
昭和の戦時に廃線となったそうです。
一方、お隣の水防碑。
※(水防碑=すいぼうひ)
「災害は
忘れたころに
やってくる」
と書いてある。
こちらは「災害記念碑」とも呼ばれ、
地震、水害、火災などの発生によって
大規模な被害があったことを
後世のために記した石碑とのこと。
日本全国に存在していて、
石の形は地域によって様々なようだ。
水防碑の裏側。
柵との間隔が狭くて
上手く写真が撮れなかった……。
少し碑文が読みにくいけど
台風による水害について書かれている。
簡単にまとめます。
簡単にまとめます。
「水防碑の碑文」
福島区は台風に伴う高潮によって
水害に見舞われたが、なかでも
昭和9年(1934年)の室戸台風、
昭和25年(1950年)のジェーン台風、
昭和36年(1961年)の第二室戸台風
によって多くの人命と財産を失った。
人々が水防意識を高めることを祈って
ここに水防碑を建立する。
昭和53年秋、大阪市。
昭和に発生した猛烈な台風は
強風の被害だけでなく、
高潮による水位の上昇で
避難が間に合わずに
多くの方々が犠牲となりました。
後世の人々が同じ被害に遭わないために
防災意識を強く持ってほしいと願って
建てられた碑なんですね。
裏側から北港通を眺めた写真。
石碑の内容が違うので
本来なら別々の記事にするべきだけど、
あまりに近くにあるので
今回は一緒に紹介しました。
2つの石碑の近くには
福島消防署、福島警察署、
福島区民センターなどといった
区の施設がある。
水防碑は以前、福島区民センター付近に
設置されていたみたいだけど、
表通りに移動したようだ。
防災の教訓となる碑なんだから
人目につく場所の方がいいものね。
昔の町名を示す
「江成町」の旧町名継承碑と、
防災の大切さを伝える
「水防碑」。
近くを通りかかった際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。
↓↓ブログランキングに参加中です↓↓
よかったら押していってね
【「江成町の旧町名継承碑」と「水防碑」】
最寄り駅は
阪神・野田駅
地下鉄・野田阪神駅
コメント