この日は大阪のビジネス街・北浜

「淀屋橋駅」周辺を散策しました。
※(よどやばし えき)



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淀屋橋駅の西側、

土佐堀川沿いの道を歩いていると

青銅色の石碑を発見。


よく見ると手前にも

細長いタイプの石碑がある。



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手前の細長い碑には

「淀屋の屋敷跡」
※(よどや の やしきあと)

と刻まれていた。



現在大阪のビジネス街になっている

この淀屋橋エリアの呼び名は、


北浜中之島に架かる「淀屋橋」

駅の名称に使われている「淀屋橋駅」から

取られたものですが

この淀屋さん大元の由来です。



ここにお屋敷があったんだね。



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隣の青銅色の大きな碑も気になるけど、

ひとまず碑の右側面を確認。



「近…のはじめ中之島の開…その……」



判読できない。

しかも下の方の文字が埋まってる。


読めそうで読めないので

なんだかモヤモヤするけど、



「淀屋さんが大阪の町に貢献して
 その名が淀屋橋として残っている」



ということが書いてあるようだ。



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左側面。

大阪の市制施行70周年を記念して

昭和36年3月に大阪市が建立。




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裏側は何も書いてなかった。


こちらの淀屋さん

大阪の歴史・郷土史に詳しい人なら

知っていて当たり前のようなんですが、


実は世間では

あまり認知されてないようで

嫁のまーさんも知りませんでした。



は以前、「旧町名継承碑」という

昔の町名を記した石碑を

中之島で発見した際に、

淀屋について調べる機会があったので

ちょっとだけ知ってました。



ちょっとだけ知れる記事については

こちらからご覧ください。


内容:淀屋さんの名前の町名が昔あったよ




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青銅色の碑。

「淀屋の碑」と刻まれていて、
※(よどや の ひ)

碑文がズラズラと並んでいる。




1130_07

下の碑文。

詳しくは写真をご覧ください。


他の史料と合わせた内容を

簡単にして以下に記していきます。



「淀屋の碑」


淀屋は江戸時代前期の

大坂を代表する豪商であった。


初代淀屋となる「淀屋常安」は、
※(よどや じょうあん)

豊臣時代に淀川の築堤工事を請負い、

材木商として財をなした。

後に、砂地であった中之島の開拓に尽力。

大坂商業の中心地を切り開いた。


二代目淀屋「淀屋个庵」は、
※(よどや こあん)

の地に海産物市場を開き、
※(靱=うつぼ、現在の西区靱公園)

また米相場を確立させる

「淀屋の米市」中之島に設置。

大坂の経済を大きく発展させた。



初代・淀屋常安が開拓した

中之島の周囲には

全国各藩の蔵屋敷が建ち並び、


商業・物流の中心となった大坂は

「天下の台所」と呼ばれました。



これは歴史の教科書に出てきたね。

それほどの功績を残した商人さんです。



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碑の上部分はレリーフ調

米俵を運んで量っているので

「淀屋の米市」の風景だろう。


右上の方であぐらをかいて

様子を眺めている人が淀屋さんかな。



調べた時に出てきた面白エピソードとして、


初代・淀屋常安さんは

京都の伏見城が築城される際に

散らばる巨石の撤去を格安で請け負い


本来、石を運び出す撤去作業のところを

掘った穴に巨石を落として埋めるという

斬新な手法で解決。

これが豊臣秀吉に高く評価された。

という逸話が残っています。



また、大坂の陣では徳川方につき、

茶臼山などの陣営地を献上。
※(ちゃうすやま)

戦後の遺体処理・武具回収などを率先し

徳川家康にも評価された逸話があります。



大阪に住んでいる人からすれば

「大坂で財を築いた商人なのに
 豊臣じゃなくて徳川についたのか!」

って思うかもしれないですが、

商人というのは利益優先で動く生き物。


機転が利き、先見の明があったからこそ

戦争の難しい局面を上手に渡り歩き、

豪商として名を残したとも言えます。



……話、長くなってごめんね。



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裏側を遠くから眺める。

特に何も書いてなかった。



碑の奥の方に

「林市蔵先生の像」が見える。

気になる方はこちらの記事をどうぞ。


内容:俺達の味方・林市蔵先生




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青銅碑の左側面・下側


レリーフの絵を描いた方、

碑文の書を記された方、

碑を施工した財団の名前が刻まれていた。



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レリーフの土台にサインを発見!

絵を描いた

「辻 志郎」さんのかな。




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に囲まれた後ろ側の様子

写真右側に見えるのが「淀屋橋」


中之島に設置した米市への利便性を図り、

淀屋が自費で橋を架けました。



……というほど

豪商として巨万の富を築いた淀屋は、

宝永2年(1705年)

五代目「淀屋辰五郎」の時代に
※(よどや たつごろう)

町人の身分を越えた贅沢三昧を見かねた

幕府によって闕所され、家が没落。
※(闕所=けっしょ、財産を没収されること)



……最後は悲しい結末ですね。



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大坂で繁栄を極め、没落した

豪商・淀屋の屋敷跡地に設置された

「淀屋の碑」と「淀屋の屋敷跡」の碑。



現在も大阪の経済発展の場となっている

淀屋橋のビジネス街にあるので

ぜひ訪れてみてください。



※この記事の写真は2018年8月に撮影したものです。


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【淀屋の碑・淀屋の屋敷跡の碑】



最寄り駅は
京阪電車・淀屋橋駅
地下鉄・淀屋橋駅