この日は天王寺区にある
※(てんのうじく)
「天王寺公園」周辺を散策しました。
公園の東側、谷町筋の通りを
天王寺駅方向に歩いていると……。
木陰にひっそりと
佇んでいる石碑を発見。
佇んでいる石碑を発見。
碑には
「元祖 竹本義太夫 誕生地」
※(がんそ たけもとぎだゆう たんじょうち)
と刻まれていた。
『なんやろこの下手…やなくて
あれ…アレやね…字のバランス?』
『字のバランスがアレやね』
一緒に歩いてた嫁のまーさんが
一瞬、下手と言いかけて
「字のバランスがアレ」で着地した。
あまりフォローになってないと思う。
裏側。
「うっ…」てなる勢いで
碑文が刻まれている。
車道側から慌てて写真を撮ったので
ナナメになった……。
お手数ですが、碑文を読む方は
首を左へ10度ほど傾けてください。
内容を簡単にしたものを
以下に記していきます。
「竹本義太夫」
江戸時代の浄瑠璃の太夫。
※(太夫=演者、語り手のこと)
慶安4年(1651年)にこの地に生まれ、
大坂道頓堀に「竹本座」を創設。
三味線伴奏による人形浄瑠璃の創始者で
「義太夫節」という流派を築いた。
※(ぎだゆうぶし)
正徳4年(1714年)没。享年64歳。
浄瑠璃を新たな芸術へ発展させた
竹本義太夫さんが生まれたのが
この天王寺区だったんですね。
碑には記されてませんが、
浄瑠璃や歌舞伎の作者として有名な
「近松門左衛門」が脚本した数々の作品を
※(ちかまつ もんざえもん)
義太夫さんの竹本座で公演しました。
新時代の浄瑠璃文楽は
この二名が揃って成し得た文化ですね。
ちなみに道頓堀には
「竹本座」に関する碑があります。
気になる方は以前書いた記事をどうぞ。
内容:カニ道楽のほぼ向かいにあるぞ
碑の左側面。
昭和25年11月に建立。
年代の割にピカピカなのは、
平成25年(2013年)に
「人形浄瑠璃文楽座因講」
が再建したからとのこと。
さっきの裏面に書いてあった。
これを撮影したのは2018年なので
実質、5年前に建立された碑だ。
こちらの碑の字は
「菅楯彦」という方が
※(すが たてひこ)
書いたようだ。
調べてみると、
明治~昭和に活動していた
鳥取県出身の日本画家で、
大阪の民衆風俗を描いた作品を手掛け
大阪市名誉市民に選ばれたとのこと。
大阪との縁から繋がって
この碑の文字を書かれたようだ。
この字については
昭和25年に建立した当時の字を
そのまま再現しているそうですよ。
碑の右側面。
「生誕三百年記念」
と刻まれている。
『あれ? 裏の碑文には
「三百回忌」って書いてたよね』
『そういえばそうやね』
『どっちなんやろ?』
竹本義太夫さんの没年が1714年、
碑の再建が2013年なので
碑の再建が2013年なので
三百回忌が正しい気がするけど……。
まあ細かいことはいいや。
とにかく三百年だ。
真正面から撮影。
浄瑠璃の太夫は、
歌舞伎などと同じく襲名制。
創始者の義太夫さんを指す意味を込めて
「元祖」と付いてるようです。
ちなみに竹本義太夫さんのお墓は
ここから少し北東、
天王寺区大道1丁目の「超願寺」
というお寺にあります。
碑の上から道路側を眺めると
天王寺駅前の商店街アーケードが見える。
新浄瑠璃・義太夫節を築いた
竹本義太夫が誕生した場所を示す
「元祖竹本義太夫誕生地」の碑。
碑文は車道側にあるので
ご覧の際は車にご注意ください。
※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。
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【「元祖竹本義太夫誕生地」の碑】
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