この日は天王寺区にある
※(てんのうじく)

「天王寺公園」周辺を散策しました。


公園の東側、谷町筋の通りを

天王寺駅方向に歩いていると……。



1127_01

木陰にひっそりと

佇んでいる石碑を発見。





1127_02

碑には

「元祖 竹本義太夫 誕生地」
※(がんそ たけもとぎだゆう たんじょうち)

と刻まれていた。



『なんやろこの下手…やなくて
 あれ…アレやね…字のバランス?』

『字のバランスがアレやね』



一緒に歩いてた嫁のまーさん

一瞬、下手と言いかけて

「字のバランスがアレ」で着地した。

あまりフォローになってないと思う。



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裏側。

「うっ…」てなる勢いで

碑文が刻まれている。



車道側から慌てて写真を撮ったので

ナナメになった……。

お手数ですが、碑文を読む方は

首を左へ10度ほど傾けてください。



内容を簡単にしたものを

以下に記していきます。



「竹本義太夫」


江戸時代の浄瑠璃の太夫
※(太夫=演者、語り手のこと)

慶安4年(1651年)この地に生まれ、

大坂道頓堀に「竹本座」を創設。


三味線伴奏による人形浄瑠璃の創始者で

「義太夫節」という流派を築いた。
※(ぎだゆうぶし)

正徳4年(1714年)没。享年64歳。




浄瑠璃を新たな芸術へ発展させた

竹本義太夫さんが生まれたのが

この天王寺区だったんですね。



碑には記されてませんが、

浄瑠璃や歌舞伎の作者として有名な

「近松門左衛門」が脚本した数々の作品を
※(ちかまつ もんざえもん)

義太夫さんの竹本座で公演しました。


新時代の浄瑠璃文楽は

この二名が揃って成し得た文化ですね。



ちなみに道頓堀には

「竹本座」に関する碑があります。

気になる方は以前書いた記事をどうぞ。


内容:カニ道楽のほぼ向かいにあるぞ




1127_04

碑の左側面。

昭和25年11月に建立。



年代の割にピカピカなのは、

平成25年(2013年)に

「人形浄瑠璃文楽座因講」

が再建したからとのこと。

さっきの裏面に書いてあった。



これを撮影したのは2018年なので

実質、5年前に建立された碑だ。



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こちらの碑の字

「菅楯彦」という方が
※(すが たてひこ)

書いたようだ。



調べてみると、

明治~昭和に活動していた

鳥取県出身の日本画家で、

大阪の民衆風俗を描いた作品を手掛け

大阪市名誉市民に選ばれたとのこと。


大阪との縁から繋がって

この碑の文字を書かれたようだ。



この字については

昭和25年に建立した当時の字を

そのまま再現しているそうですよ。



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碑の右側面。

「生誕三百年記念」

と刻まれている。



『あれ? 裏の碑文には
 「三百回忌」って書いてたよね』

『そういえばそうやね』

『どっちなんやろ?』



竹本義太夫さんの没年が1714年、

碑の再建が2013年なので

三百回忌が正しい気がするけど……。


まあ細かいことはいいや。

とにかく三百年だ。



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真正面から撮影。


浄瑠璃の太夫は、

歌舞伎などと同じく襲名制。

創始者の義太夫さんを指す意味を込めて

「元祖」と付いてるようです。



ちなみに竹本義太夫さんのお墓

ここから少し北東、

天王寺区大道1丁目「超願寺」

というお寺にあります。



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碑の上から道路側を眺めると

天王寺駅前の商店街アーケードが見える。




1127_02

新浄瑠璃・義太夫節を築いた

竹本義太夫が誕生した場所を示す

「元祖竹本義太夫誕生地」の碑。



碑文は車道側にあるので

ご覧の際は車にご注意ください。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【「元祖竹本義太夫誕生地」の碑】



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