この日は大阪ミナミの繁華街・難波にある

「なんばパークス」を訪れました。


大阪市内でも有数の

超大型ショッピングモールで、

平日でも大勢の買い物客が訪れる施設です。



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ここは難波パークス北側


「なんばCITY本館」との間にある

大きな道を歩いていると

見覚えのある石碑を発見。



駐輪場の一部と化しているけど

多分「旧町名継承碑」だ。



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「旧町名継承碑」とは、

昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。



色々な所で発見してるけど

難波の繁華街にも置いてあるとは……。


ここを歩いたことがある人達の中で

どれ位の人がこの継承碑の存在に

気付いているんだろう。



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誰かの自転車のカゴと影が

どうやっても写真に写り込む……。


というか傍から見ると

自転車盗もうと狙ってるヤツ

見えなくもない。むしろそっちが心配だ。


目的はあくまで石碑だと

周囲にアピールしておこう。



石碑撮りたいだけなんだけどなー』

『この自転車えらい所に
 停めてはるなー』

『そうだねー。
 石碑が目的なんだけどね』

『横に駐輪場あるのに…』

『場所埋まってたんじゃない?』

『まさかこうして石碑撮るヤツが
 来るなんて思ってないだろうし』

『あー、置ける台数少ないそうやし
 それありえるなー』

石碑撮るだけだし、まあいいでしょ』

『さっきから何でそんなに
 石碑石碑って連呼してるん…?』



一緒に買い物に来た嫁のまーさん

そんな会話しながら写真を撮る。


今考えたら、

余計に怪しいだろコイツ……。



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どうやらこの辺りは昔、

「蔵前町」

という名前だったようだ。


読み方は

「くらまえ ちょう」



……ちょっと見辛いけど

詳細については写真をご覧ください。


「蔵前町」に関わる部分のみ

以下に抜粋します。



「蔵前町」

大正14年4月
行政区画の変更にともない
南区難波蔵前町が浪速区に編入され、
「蔵前町」となった。

昭和55年11月
住居表示の実施にともない
「蔵前町」は難波中二丁目の一部となった。

町名の由来は
徳川幕府の難波米蔵が所在していたから。



江戸時代に米蔵があった経緯から

「蔵前町」となったようだ。



調べてみると、

米蔵享保18年(1733年)に建てられ

広大な敷地に米を蓄えていたとのこと。


明治時代に入って米蔵は解体

跡地にはタバコ工場大阪球場と続き、

現在のなんばCITY・なんばパークス

なったそうです。



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背後にあるなんばパークス



『ここ昔は米蔵だったんだねー』

『何度も来てるけど
 米蔵って初めて知ったわ』

『ちょっと意外だね』



そういえば、

お隣のなんばCITYには

「なんば こめじるし」っていう

飲食店街があるんだけど、

この名前も米蔵に由来しているのかも。


歴史を知ると

モノの見え方が変わって面白いなあ。



1113_06

道路を挟んだ向かいには

なんばCITYの本館がある。



自販機で飲み物を買って戻ってきたら

自転車がいなくなってた。



1113_07

江戸時代、

この辺りに米蔵があったことを示す

「蔵前町」の旧町名継承碑


近くを通り掛かったら

ぜひ足を止めて眺めてみてください。



※この記事の写真は2018年10月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「蔵前町」】

※MAPの「なんばパークス」の北側にあります。


最寄り駅は
南海電車・なんば駅