※お仕事が忙しくて昨日は更新できませんでした。
 ごめんなさい。




この日は此花区

ほぼ中央を東西に走っている、

「北港通」という
※(ほっこうどおり)

大きな道路沿いを散策しました。



1106_01

阪神電車・千鳥橋駅の近くを通っていると

やりたい放題に広がる街路樹の側に

見覚えのある石碑を発見。


「旧町名継承碑」だ。



1106_02

場所は此花区「朝日二丁目」





1106_03

知らない方のために説明すると、


「旧町名継承碑」とは

昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑。



同じような形の石碑が

大阪市内の色々な場所に置いてあるので

近所を探してみると発見できるかも。



1106_04

この青いプレート部分

旧町名の名前や由来などが書かれている。



今回のプレートはテカテカのタイプだ。

厄介だなぁ……反射するんだよコレ。


確認してみたら

案の定、コンビニ袋をぶら下げて

嬉しそうに写真を撮っている

何枚か写り込んでいた……。



全然反射しないプレートもあるので、

設置された時期で

素材が微妙に違うとかあるのかな?



1106_05


ちょっと汚れた継承碑によると、

この辺りは昔

「嬉ヶ崎町」

という町名だったようだ。


読み方は

「きがさき まちorちょう」かな?



詳細については写真をご覧ください。

「嬉ヶ崎町」に関わる部分のみ

以下に抜粋します。



「嬉ヶ崎町」


大正14年4月
行政区画の変更にともない
西野田嬉ヶ崎町が此花区に編入され、
「嬉ヶ崎町」となった。

昭和51年9月
住居表示の実施にともない「嬉ヶ崎町」
朝日一~二丁目の各一部となった。

町名の由来は
貞享年間(1684~88年)の安治川新堀開削で
中津川との合流地点であった当地が、
無事に陸化したことを喜んだ事柄に由来。



由来を解釈すると「嬉ヶ崎」の町名は

江戸時代からあったようですね。



また「中津川」という川が

地図に無いので調べてみた所、

こちらは明治29年(1896年)

埋め立てられてしまったようで

現在は存在しない川とのことです。



1106_06

継承碑から「北港通」を眺めた風景。

すぐ側に阪神電車の高架がある。




1106_07

高架を眺めていると

ちょうど電車が走ってきた。




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街路樹の脇にひっそりと佇む

「嬉ヶ崎町」の旧町名継承碑


近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「嬉ヶ崎町」】



最寄り駅は
阪神電車・千鳥橋駅