この日は大阪のビジネス街、
淀屋橋エリアの
※(よどやばし)
※(よどやばし)
「北浜」周辺を散策しました。
淀屋橋駅から西側、
土佐堀沿いの道をほんの少し歩くと
植え込みの中に石碑を発見。
『なんかある』
『石碑だね。見てみよう』
一緒に歩く嫁のまーさんと
石碑を確認してみる。
碑には
「方面委員、民生委員 始祖
林市蔵先生 肖像」
と刻まれていた。
名前は存じ上げないけど
碑が設置されるほどの先生だし、
偉人に違いない。
『肖像ってアレやろか?』
『ん? ・・・えっ、アレ…?』
奥の方に小さな親子のような
ブロンズ像が置かれている。
なんか小さい……。
アレなの…?
とりあえず碑を確認していく。
「民生委員制度 50年記念
明治 100年記念」
と刻まれている。
この碑は
記念碑にカテゴライズされるらしい。
反対側の側面には何もなかった。
裏側。
昭和46年11月3日に建立されたようだ。
林市蔵先生? の肖像。
『ちっちゃ!』
『碑の方がよっぽど大きいねぇ…』
『どっちが林市蔵先生やろ?』
『子どもの方かな?
抱えてる人は女の人っぽいし』
『この子ども、めっちゃ
あっちを見てはるな…』
なんとなく
子どもが見ている方向へ
視線を動かしてみると……。
『あっ……』
『あっ……』
あっちじゃねーか!
正面に回り込む。
「林市蔵先生の肖像」は
間違いなくこちらだろう。
『っ…ですよねー!』
『なんか変だと思ったわー』
隣に植えられた大きな木に
先生の像が完全に隠れていて
まったく気付かなかった。
恥ずかしい……。
像の横に碑文を発見。
旧字などもあって少々難しい。
詳細は写真をご覧ください。
内容を噛み砕いてまとめた説明を
以下に記していきます。
「林 市蔵(1867~1952年)」
※(はやし いちぞう)
第一次世界大戦後の大正7年(1918年)、
物資が高騰し、米騒動が発生するなど
民衆の生活は苦難を強いられていた。
当時の大阪府知事であった
「林 市蔵」は淀屋橋の散髪屋で、
窮状にある新聞売りの母子の姿を見て
心を打たれ、対策に乗り出した。
結果、大阪府に「方面委員」が設置され
これが現在の「民生委員制度」の
始まりとなった。
林市蔵先生は、
生活に困っている人々のために
新しい制度を考案した
大阪府知事だったんですね。
「民生委員」とは
生活困窮者が日常生活を行えるように
相談・助言・援助などを
無償で協力する人達のこと。
林市蔵先生は
新聞売りの母子の姿を見て、
「何とかしてあげたい」と
強く決意したんでしょうね。
立派な御方です。
隅のほうに
「林市蔵先生記念像」
と刻まれた碑文を発見。
像は昭和28年の秋に建立。
土佐堀の方を覗いてみると
「大阪市役所」が見えた。
林市蔵先生をアップで。
穏やかで親しみやすい表情をしている。
第一次大戦後の不安定な社会情勢で
府知事の業務に忙殺される中、
貧しい人々の生活にまで
意識を傾けてくれた心優しい先生に感謝。
『先生どこ見てるのかな?』
『道路側の方を見てはるね』
ちょっとだけ失礼して
先生の視線の先を撮影してみる。
スポーツ用品店の
「ミズノ」が見えた。
先生像の近くにあった石碑。
「民生委員制度 創設100周年記念碑」
と刻まれている。
林市蔵先生が創設し、
この地が発祥となった「方面委員」が
現在は「民生委員」として
現在は「民生委員」として
受け継がれていることが書かれている。
平成30年5月に建立。
つい最近建てられたようだ。
貧しい人々の生活を支援する制度の
基盤を作った林市蔵氏を称える
「林市蔵先生の像」。
淀屋橋のすぐ近くにあるので
ぜひ訪れてみてください。
※この記事の写真は2018年8月に撮影したものです。
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【林市蔵先生の像】
最寄り駅は
京阪線・淀屋橋駅
地下鉄・淀屋橋駅
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