この日は淀川区にある

「東三国」の町を訪れました。
※(ひがしみくに)


新大阪北側に位置する町で

吹田市との境になっている地域です。



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ここは東三国の東側

民家が軒を連ねる

とある住宅街の路地裏です。



『あーっ、あったっ!
 ここにそれっぽい石碑があるよ』

『おぉー。えらい裏手の道やけど
 こんな所に石碑があるんやなー』



目的の石碑を発見して

嫁のまーさんと遠くから眺める。



実は少し前に記事にした

「東淀川駅の近くの
 高さが1.5mしかない高架下」

を発見した時に

マップで現在地を確認したら、


すぐ近くに「~~~人柱碑」

という表示が出てきたので

気になって訪れてみた、という流れ。




あ、1.5mの高架下が気になる方は

こちらのリンクからご覧ください。


内容:恐怖の生活道路



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正面から撮影。

フェンスに囲まれた敷地内には

草木が生い茂っている。


中には巨石をくり抜いて

文字を刻んだ墓石のような碑と、

屋根つきの看板が建っていた。



『石碑大きいなー!』

『ホンマやね』

『なんていうか
 ここだけ森みたいやなー』

『変わった場所だよね』



周りは住宅街なのに

ここだけがお寺の庭みたいで

厳かな雰囲気が漂っている。



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石碑のある所は管理地のようで

しっかりと施錠されていた。


近づくのは無理なので

フェンス越しから撮影することに。



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石碑には

「長柄人柱 巌氏碑」
※(ながら ひとばしら いわうじ ひ)

と刻まれている。



「人柱」とは、

人間を供え物として神様に捧げること。


大昔の時代は人を生け贄にして

災いを払う風習があった、

という記録がいくつか残っています。

いわゆる、人身御供ですね。



本などで人柱のことは知ってたけど、

こうしてその風習を証明するような

物体を目の前で見ると……。


興味と怖さが混ざったような

不思議な感覚が込み上げてくる。



やっぱり知識で想像するだけと

実物を目にするのとでは、

心の掴まれ方が違いますね。



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こちらは案内板

後半がに隠れて見えない……。


色々と頑張ったけど角度を変えても

が写り込んで妨害してくるので、

読めるところだけ解読して説明を……。



「長柄人柱の由来」


613年推古天皇の治世時代。

水害が続く中で「長柄橋」の架橋工事が

国を挙げて行われていた。


しかし度重なる水害の前に工事は停滞

最後の手として話し合われたのが

橋の下に人を埋め「人柱」を立てることで

工事の完成を祈願することだった。


それを聞いた垂水の長者「巌氏(いわうじ)
※(垂水=現在の吹田市豊津駅付近)

自ら人柱となることを決意し、

「袴に横つぎのある者を人柱にしよう」

と自身の衣服の特徴を申し上げ、

人柱として身を捧げた


「巌氏」の人柱の霊験によって

長柄橋は無事完成し、水害が起きても

橋は流されなくなったという。



ちょっと長くなった、ごめんね。


要約すると、

長者の巌氏さん人柱となり

尊い犠牲を払ってくれたことで

難航していた長柄橋の架橋が完成した。
※(ながらばし)

……というお話のようですね。



ちなみに話に登場した「長柄橋」

現在の淀川に架かっている

「長柄橋」とは別の物です。



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上記の話は民話になると

内容が少し変化しており、



長柄橋の架橋について、

長者である
「巌氏」に役人が相談。


巌氏

「袴に横つぎのある者を人柱にしよう」

と提案したが、自身がそれに当てはまり

失言によって人柱に選定されてしまった。



という話になっているようです。


自身が犠牲となる美談か、

失言を戒めるための民話か。


真実は分からないですが、私は

石碑の前にある美談を信じてみたいです。




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石碑の足元をアップで撮影。

祭壇のようなものがあった。

現在もしっかり祀られているようだ。



先ほどの案内板の説明

民話には共通した続きがあり、



「巌氏」人柱となった後、

その娘の「照日(てるひ)が失意で

口を閉ざしてしまい、夫に離縁される。


里帰りの最中に鳴き声を上げる(きじ)

夫が矢で射止めたところ、照日


「ものいわじ 父は長柄の橋柱
 鳴かずば雉も射られざらまし」


と詠ったため、照日の心情を知った夫は

離縁を取りやめて引き返した。



という逸話に繋がるそうです。



自ら災いを招くことの意味を持つ

「雉も鳴かずば撃たれまい」

この照日の言葉が由来だそうです。



……が、

人柱伝説&「雉も~~」の民話は、

なんと長野県石川県などにも

似た話が伝わっているとか。

ややこしいね……。



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調べてみたところ、

こちらの敷地は「大願寺」という

近所のお寺が管理しているとのこと。



人柱の悲話を後で知った推古天皇の命で

「巌氏」を冥福を折るために

「橋本寺」というお寺を建立。


この橋本寺が現在の「大願寺」

成り立ちだそうです。



「大願寺」の正門はここから

ちょっと入り組んだ路地内にあるようで、

この石碑を訪れた時は

お寺の存在にすら気付けなかった……。



ちなみにこちらの石碑

昭和11年(1936年)に建立とのこと。



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この地に人柱伝説があったことを示す

「長柄人柱巌氏碑」


近くにある「大願寺」

人柱伝説にゆかりのあるお寺なので

石碑と共に訪ねてみると

新しい発見があるかもしれません。



※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。


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【長柄人柱巌氏碑】



最寄り駅は
JR京都線・東淀川駅