この日は大阪の陸の玄関口、

新大阪駅にある

「西淡路」の町を散策しました。
※(にしあわじ)


淡路島のことじゃないよ。



1019_01

ここは新大阪駅の東側

中央分離帯がある大きな道路。


この道路をに進むと

「須賀の森公園」という
※(すが)

大きな公園が左手に見えてくる。



1019_02

こちらが「須賀の森公園」



『大きな公園があるね』

『そうやね』

『真ん中に大きな石碑あるけど
 このまま素通りしてええの?』

『絶対だめ』

『じゃあ寄っていくん?』

『うん。超寄ってく』



巨大な石碑を発見したので

嫁のまーさんと一緒に

さっそく公園に入ってみる。



1019_03

公園の中


石碑もさることながら、

やはり注目してしまうのは

写真左側に見える、枯れ枝の山……



この写真を撮影したのは2018年9月

近畿地方が甚大な被害を受けた

台風21号が通過した後のことです。


猛烈な突風によって

なぎ倒された木々や、折れた枝は

こうした公園などに集められて

業者による処理を待っている状況でした。



1019_04

それにしても、すごい枝の量……。

軽トラ1台くらいじゃ収まらないだろう。



『これ全部、台風で折れたんだね…』

『えらいことになってはるなー』

『めっちゃ鳩おるし…』

『完全に巣作りしてるっぽいよね』

『巣としては最適やろなー…これ』


『おい鳩、暮らすな』

『暮らすな。すぐ無くなるで』



私達のアドバイスを無視して

鳩達は「ふるっふー!」と鳴きながら

枯れ枝に頭を突っ込んでた。



1019_05

巣を作ろうと企む、ふるっふー軍団。


撮影から一月以上経ってるので

もう撤去されていると思うけど、

今どうしてるんだろうなあ……。



1019_06

枯れ枝の山を横目にしながら

石碑の所へ近付いてみる。


奥の方をよく見ると、

枯れてしまった大木の幹

祠のようなものも確認できる。



1019_07

石碑には

「須賀神社 跡」
※(すがじんじゃ あと)

と刻まれていた。



調べてみたところ、


14世紀の南北朝時代(1336~92年)の間に

刀工として知られる「来(らい)」一族

京都からこの地へ移り住み、

鎮守として須賀神社を創建したとのこと。



この須賀の森公園が広大なのは

かつてあった須賀神社

境内の一部だったからなんですね。



1019_08

石碑の裏側

光の加減で少し読みにくいけど

「明治43年1月13日 合祀」
※(合祀=他の神社に統合されること)

と刻まれている。



600年近くこの地を見守り続けてきた

須賀神社ですが、明治43年(1910年)

「中島惣社」という
※(なかじま そうしゃ)

神社に合祀され、姿を消したようです。




「中島惣社」は現在、

新大阪駅のほぼ真東にある

東中島の町に鎮座しています。



1019_09

石碑の奥に見える枯れた大木

柵で囲われた内側に鎮座している。



『あの枯れ木の太さ、
 尋常じゃないよね』

『遠目で見ても迫力あるわ…
 御神木やろか?』

『そうかもしれないね』



須賀神社があった当時は

あの木が御神木だったのかもしれない。



1019_10

大木の隣にあった

「愛宕神社」というお社。
※(あたご じんじゃ)


お茶がお供えされていたので、

現在も地元の方が管理している様子。


こちらの神社は合祀されなかったのかな?



1019_11

裏側に回って大木を撮影。

本当に巨大な幹だ。


神社の創建当時からあったとしたら

樹齢600年以上かな?

それくらいの年月を重ねていても

不思議ではない貫禄がある。



1019_12

石碑の囲いをぐるぐる回って

ふと、遊具のある場所に視線を向けると

木が根元からなぎ倒されていた。



『うわっ!? あの木が
 大変なことになってる』

『えぇー! 根元からいってる!!』

『あんなに大きな木なのに…』

『あの台風怖すぎやろ…』


『…でもなんか、小学生が遊んでるね?』

『うん。さっきから子どもの声してたけど
 あの木で遊んでた声やったんやな…』

『キッズたくましいな』

『もうあの木、立派な遊具やで』



写真だと分かりにくいけど

この木も実は、かなりの大きさ。


木に登って遊んでいる子どもと比較すると

サイズが分かりやすいかも。



1019_13

倒れた木の根元部分

あの台風の威力が改めて分かる。




1019_14

一回りして公園の西側を見ると、

こちらにも

御神木のように大きな木

ずっしりと構えていた。




1019_15

正面に回る。

とても立派な(くす)の木だ。




1019_16

右側の碑

樟の木は大阪府の天然記念物

指定されている。




1019_17

木の立て札。

樟の由来について書いてあった。



建武(1334~38年)の頃、

後の室町幕府を開いた「足利尊氏」
※(あしかが たかうじ)

対立して戦死した

「楠木正成」と子の「正行」を偲んで、
※(くすのき まさしげ・まさつら)

この地に逃れてきた楠木軍の残兵が

樟の苗木を植えた。



短くまとめると、こんな内容。

詳しくは写真をご覧ください。


樹齢は約600年とのこと。

須賀神社の創建と同じ頃ですね。



1019_18

別アングルから。


600年の歳月をかけて成長した木は

もはや単体でも森と呼べるほど。


あの猛烈な台風も

この樟の大樹を揺るがすには

至らなかったようだ。



1019_19

見上げてみる。


悠々と成長した枝木の美しさに

見惚れてしまう。



1019_20

樟の木の近くに

公園の名が刻まれた碑があった。



『ここにも折れた枝が…』

『枝なんやろうけど太いなー。
 これもう、すでに木やん』


『普通の街路樹くらいの
 太さはあるよね』




どの木が折れたんだろう?

天然記念物の樟じゃないことを祈る。



1019_21

碑の裏側


最初の方で説明した

須賀神社の由来が書かれている。


地元民の要望で

昭和37年(1962年)

神社の跡地が公園になったとのこと。



1019_22

公園碑の位置から樟の木を眺めた写真。


今、気がついたけど

碑の側面に世話人の方の名前が

刻まれていた。



1019_23

600年以上昔の歴史を現在に伝える

「須賀神社跡」の石碑と樟の木


見所の多い面白い場所なので

ぜひ訪れてみてください。



※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。


↓↓ブログランキングに参加中です↓↓
  よかったら押していってね






【「須賀神社跡」の石碑・樟の木】



最寄り駅は
JR京都線・東淀川駅