※体調不良で更新が滞ってしまいました。
 ごめんなさい。




この日は大阪経済の中心、

ビジネス街として有名な

「淀屋橋駅」の周辺を散策しました。
※(よどやばし えき)



1018_01

淀屋橋駅西側

銀行の大阪本社などのオフィスビルに

囲まれた道を歩いていると……。



とあるビルの植え込みの中

じ~~っと見つめている

人がいました。



1018_02

それがこちらのビル。

「シュナイダーエレクトリック大阪ビル」

というなんか強そうな名前のビルだ。


しばらくして戻ってくると、

見つめている人が居なかったので

何があったのか確認してみることに。



1018_03

植え込み。

小さな表示板2つある。




1018_04

表示板には

大阪市顕彰史跡第61号
「帝国座跡」

と書かれていた。


どうやら顕彰碑だったようだ。



この手の形状の表示板は

大体が避難経路の説明とか

ビルの設計説明だったりするので

つい見逃しがちになる。


じ~~っと見つめていた人のおかげで

また史跡を一つ発見できた。

ありがとう!



ちなみにもう一つの表示板は

公園敷地の案内板で

帝国座跡とは特に関係なかったよ。



1018_05

説明の所が読みにくかったので

角度を調整。



帝国座明治43年(1910年)

新派劇の先駆者・川上音二郎によって
※(かわかみ おとじろう)

この地に建てられたもので

大阪における最初の純洋式劇場であった。



と書かれている。



「新派(劇)」というのは
※(しんぱ)

新しい形の演劇のこと。



明治時代以前の日本の演劇といえば

歌舞伎浄瑠璃だったけど

この概念を壊して、

「現代劇」と呼ばれる新しい演劇を

公演したのが「新派」です。



前に西区で発見した石碑にも

新派の話が出てきたので

興味のある方はリンクからどうぞ。


内容:新しい演劇が始まった場所




1018_06

今は高層ビルが建ち並んでいるけど

昔、この辺りには

帝国座の劇場があったんですね。



帝国座を建てた川上音二郎さん

「オッペケペー節」という

当時の流行歌を作った興行師


帝国座を創設した翌年に

舞台上で倒れてしまい、

残念ながら亡くなってしまいました。


帝国座の建物自体は

昭和40年(1965年)頃まで

残っていたそうです。



1018_03

オフィスビルの一角に残された

「帝国座跡」の碑


近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年8月に撮影したものです。


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【「帝国座跡」の碑】



最寄り駅は
京阪線・淀屋橋駅
地下鉄・淀屋橋駅