この日は
大阪キタの繁華街・梅田の
西側にある「福島区」を散策。
福島区役所などがある
「北港通」という大きな道路を
通っていると……。
歩道脇の植え込みの中に
見覚えのある石碑を発見。
「旧町名継承碑」だ。
両サイドを謎の石に守られている。
なんだろう、この石……?
まあいいや。
知らない方のために説明すると、
「旧町名継承碑」は
昭和時代の区画整理で消滅した
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑。
市内の様々な場所に置いてあるので
注意深く観察してみると
あなたの住んでいる町にも
置いてあるかもしれません。
この中央の青いプレートに
旧町名や町名の経緯などが
書かれている。
それにしても
光がやたらと反射する。
光がやたらと反射する。
なんか撮りにくいなコイツ……。
石に守られてるせいかな?
碑文によると、この辺りは昔
「新家町一~二丁目」
という町名だったようだ。
読み方は
「しんいえまち」かな?
※2019/8/16追記
こちら正しくは「しんけちょう」と読むそうです。
失礼しました。
詳細については写真をご覧ください。
「新家町一~二丁目」に関わる部分のみ
省略して以下に抜粋します。
「新家町一~二丁目」
大正14年4月
行政区画の変更にともない、北区西成野田だった当町は
此花区の「新家町一~二丁目」「吉野町三丁目」「今開町二丁目」の各一部となった。
昭和18年4月
木場川運河より以東にあった上記の地は
福島区に編入。
昭和50年9月
住居表示の実施にともない
「新家町一~二丁目」は
吉野四~五丁目・大開四丁目の各一部となった。
町名の由来は
大正時代の西成野田だった当時、
町域の小字名が「新家前・新家東・新家西」だったことから。
※(小字名=町名を更に細分化した名称のこと)
この辺りは
北区→此花区と、区が遷移して
ようやく福島区で落ち着いたようですね。
「新家町」というくらいだから
大正時代には新しい家が
沢山建っていたのかな?
「北港通」の大通りを挟んだ
向こう側には大きなマンションがある。
グーグルマップで確認すると
福山通運の共同住宅らしい。
写真を撮ってたら、良いタイミングで
福山通運のトラックが走り抜けていった。
継承碑の右側(東)の風景。
スーパー万代の福島吉野店がある。
実は、記事を書くときに
撮影した場所を忘れてしまい、
「この写真どこで撮ったんだ?」
と悩んでたんだけど
この万代がヒントになって
場所を特定することができた。
サンキュー万代!
大正から昭和にかけて
この辺りの区が変遷したことを示す
「新家町一~二丁目」の旧町名継承碑。
近くを通り掛かった際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。
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【旧町名継承碑「新家町一~二丁目」】
最寄り駅は
JR環状線・野田駅
JR環状線、桜島線・西九条駅
阪神線・西九条駅
コメント
コメント一覧 (2)
当時住んでいた親類に話を聞き 検索して行き当たりました
コメントありがとうございます。
新家町は「しんけちょう」と読むんですか!
教えていただいて、本当にありがとうございます!
地名や旧町名の読み方は調べても出てこないことが多くて、地元の方の言葉が何よりも頼りになります。
さっそく記事に追記しておきます~。