本日は昨日と同じ場所。
中央区の北浜駅から東にある
今橋の「大阪市立 開平小学校」という
※(いまばし)
※(いまばし)
学校前でのお話です。
昨日の内容につきましては
以下のリンクからどうぞ。
※見なくても、このまま読み進められるよ!
※見なくても、このまま読み進められるよ!
内容:小学校は以前、小学校だったよ!
こちらは「大阪市立 開平小学校」。
校舎がある南側の道を
西に向かって歩いていくと、
歩道脇にポツンと石碑が建っていました。
碑には
「天五に平五 十兵衛横町」
※(てんご に へいご
じゅうべえ よこちょう)
と刻まれている。
正面から撮った写真もあったけど
思いっきり私が写り込んでいたので
斜めの角度からお届けします。
『てんごにへいご……
なんか語呂のいい碑だねえ』
『たしかにね。
口に出して読みたくなる系やわ』
『ラップみたいだね』
『えぇー…なんかダッサ!』
一緒に歩く嫁のまーさんが
ラップをバカにしてました。
アメ村でボコボコにされるがいい。
左側面には何もなかったので
右側面を確認。
所々読める部分もあるけど
ちょっと解読できない……。
というわけで色々と調べてみた。
「天五に平五 十兵衛横町」
寛永5年(1628年)、この地で
「天王寺屋五兵衛」が
※(てんのうじや ごへえ)
大坂で最初となる両替商を始める。
その後の寛永12年(1635年)、
道を挟んだ先で「平野屋五兵衛」が
※(ひらのや ごへえ)
両替商として店を構える。
江戸時代の大坂で繁栄を極めた
二軒の両替商の名前を足して、
この地は「十兵衛横町」と呼ばれた。
二軒の両替商の名前を足して、
この地は「十兵衛横町」と呼ばれた。
「横町」って聞くと
居酒屋が軒を連ねる飲み屋街を
想像してしまいがちだけど、
碑の「横町」は本来の意味通り
「○○通り」という扱い。
それにしても五兵衛と五兵衛で
合わせて「十兵衛横町」なんて
面白い名付け方をするものだ。
ちなみに江戸時代の「両替商」とは
現在で言う銀行みたいなものです。
金銭の両替で手数料を得るほか、
貸金など金融関係の業務で
財を成した商人さんですね。
碑の裏側。
すぐ後ろに学校の塀があったため
こんな写真になった……。
「昭和54年3月 大阪市建立」。
話に出てきた二軒の両替商ですが、
「天王寺屋五兵衛」は
明治に入って時代の流れに乗れず廃業。
NHKの朝ドラ「あさが来た」で
山王寺屋という名前で登場し、
脚光を浴びたので
ご存知の方は多いかもしれませんね。
「平野屋五兵衛」も
同じく明治に両替商を廃業しましたが、
こちらは江戸時代の後期に始めた
砂糖問屋が功を奏し、
現在も株式会社平野屋として
砂糖を取り扱う事業を行っています。
碑から東側を眺めた風景。
「開平小学校」の校舎と
北浜のオフィスビルが視界に広がる。
……あれ?
あれはオフィスビルかな?
高層マンションかな?
なんだあれ? とにかくでけーな。
そういえば、こちらの開平小学校は
「平野屋五兵衛」の
屋敷跡地だそうですよ。
屋敷跡地だそうですよ。
今、さらっと大事なこと書いた気がする。
銀行の礎となった
大坂両替商・創業の地を示す
「天五に平五 十兵衛横町」の碑。
小学校の前ですので
碑を訪ねる際は配慮をお願いします。
※この記事の写真は2018年8月に撮影したものです。
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【「天五に平五 十兵衛横町」の碑】
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