本日は昨日と同じ場所。


中央区北浜駅からにある

今橋「大阪市立 開平小学校」という
※(いまばし)

学校前でのお話です。



昨日の内容につきましては

以下のリンクからどうぞ。
※見なくても、このまま読み進められるよ!


内容:小学校は以前、小学校だったよ!



1005_01

こちらは「大阪市立 開平小学校」


校舎がある南側の道

西に向かって歩いていくと、

歩道脇にポツンと石碑が建っていました。



1005_02

碑には

「天五に平五 十兵衛横町」
※(てんご に へいご
 じゅうべえ よこちょう)


と刻まれている。


正面から撮った写真もあったけど

思いっきり私が写り込んでいたので

斜めの角度からお届けします。



『てんごにへいご……
 なんか語呂のいい碑だねえ』

『たしかにね。
 口に出して読みたくなる系やわ』


『ラップみたいだね』

『えぇー…なんかダッサ!』



一緒に歩く嫁のまーさん

ラップをバカにしてました。

アメ村でボコボコにされるがいい。



1005_03

左側面には何もなかったので

右側面を確認。


所々読める部分もあるけど

ちょっと解読できない……。



というわけで色々と調べてみた。



「天五に平五 十兵衛横町」


寛永5年(1628年)、この地で

「天王寺屋五兵衛」
※(てんのうじや ごへえ)

大坂で最初となる両替商を始める。


その後の寛永12年(1635年)

道を挟んだ先で「平野屋五兵衛」
※(ひらのや ごへえ)

両替商として店を構える。


江戸時代の大坂で繁栄を極めた

二軒の両替商の
名前を足して

この地は
「十兵衛横町」と呼ばれた。



「横町」って聞くと

居酒屋が軒を連ねる飲み屋街を

想像してしまいがちだけど、


碑の「横町」は本来の意味通り

「○○通り」という扱い。


それにしても兵衛と兵衛で

合わせて「十兵衛横町」なんて

面白い名付け方をするものだ。



ちなみに江戸時代の「両替商」とは

現在で言う銀行みたいなものです。


金銭の両替で手数料を得るほか、

貸金など金融関係の業務で

財を成した商人さんですね。



1005_04

碑の裏側

すぐ後ろに学校の塀があったため

こんな写真になった……。


「昭和54年3月 大阪市建立」



話に出てきた二軒の両替商ですが、


「天王寺屋五兵衛」

明治に入って時代の流れに乗れず廃業


NHKの朝ドラ「あさが来た」

山王寺屋という名前で登場し、

脚光を浴びたので

ご存知の方は多いかもしれませんね。



「平野屋五兵衛」

同じく明治に両替商を廃業しましたが、


こちらは江戸時代の後期に始めた

砂糖問屋が功を奏し、

現在も株式会社平野屋として

砂糖を取り扱う事業を行っています。



1005_05

碑から東側を眺めた風景。

「開平小学校」の校舎と

北浜のオフィスビルが視界に広がる。


……あれ?

あれはオフィスビルかな?

高層マンションかな?

なんだあれ? とにかくでけーな。



そういえば、こちらの開平小学校

「平野屋五兵衛」

屋敷跡地だそうですよ。

今、さらっと大事なこと書いた気がする。



1005_02

銀行の礎となった

大坂両替商・創業の地を示す

「天五に平五 十兵衛横町」の碑


小学校の前ですので

碑を訪ねる際は配慮をお願いします。



※この記事の写真は2018年8月に撮影したものです。


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【「天五に平五 十兵衛横町」の碑】



最寄り駅は
京阪本線・北浜駅
地下鉄・北浜駅