この日は中央区にある
大阪のビジネス街「北浜」を訪れました。
地下鉄・肥後橋駅と淀屋橋駅の間を
散策していると……。
散策していると……。
近代的な建築で、いかにも品格が漂う
「三井住友銀行 大阪本店」の
東側玄関の片隅に
ひっそりと石碑が佇んでいるのを発見。
写真右端、建物の足元です。
……ちょっと分かりにくいね。
ATMコーナーの
出入口の所からおじゃまして
碑に近付いてみる。
出入口の所からおじゃまして
碑に近付いてみる。
あれが碑。
物陰にポツンと建ってるね。
植え込みの中に建つ碑には
「松瀬青々 生誕地」
と刻まれていた。
知らない名前だけど
どなたかの生誕地だったようだ。
この辺りは
大手企業や銀行の巨大な建物が並ぶ
ビジネス街の一等地だけど、
大手企業や銀行の巨大な建物が並ぶ
ビジネス街の一等地だけど、
昔は普通に人家があったのかな?
碑の右側面。
松瀬青々さんの生涯が記されている。
詳細は写真をご覧いただくとして、
他の史料と合わせた簡単な紹介を
以下に書き綴っていきます。
「松瀬青々」
※(まつせ せいせい)
明治から昭和初期にかけて活躍した俳人。
※(俳人=俳句を詠む人)
本名は弥三郎で、明治2年4月4日に
東区大川町の当地に生まれる。
俳人「正岡子規」に賞賛されて上京し、
子規が創刊した俳句誌「ホトトギス」の
編集に従事する。
その後、大阪に戻ると
「大阪朝日新聞社」に入社し、
俳句誌にて選句を担当するなどして
関西俳句界の基礎を築いた。
昭和12年1月9日、狭心症により没。
調べてみると
松瀬青々さんは、大阪を代表する
近代俳句の俳人だったようです。
お仕事の経歴が
銀行マン → 雑誌編集者 → 新聞社勤務
とあり、俳句の才のみならず
優秀な方だったことがうかがえますね。
ちなみにこの場所は
現在「中央区北浜」ですが、
青々さんが生まれた明治初期は
「東区大川町」だったようです。
碑の左側面。
昭和53年3月に大阪市が建立。
整備された植え込みに
踏み入るのはどうかと思ったので
裏側までは確認しなかった。
格調高い建築様式をもつ、
三井住友銀行 大阪本店の東玄関に
ひっそりと佇む
「松瀬青々生誕地」の碑。
近くを通り掛かった際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年8月に撮影したものです。
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【「松瀬青々生誕地」の碑】
最寄り駅は
京阪本線・淀屋橋駅
地下鉄・淀屋橋駅
地下鉄・肥後橋駅
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