この日は「東淀川区」にある

阪急京都線・上新庄駅

周辺を散策しました。



「大阪府道16号線」という

高槻市方面へと続く

大きな道路を通っていると……。



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とある公園の外壁の植え込みに

石碑を発見。


場所は「豊新」という町にある

「かぶと公園」の入口



公園の名前だろうと思って

一度素通りしてしまったけど、

下の碑文らしきものが気になったので

引き返しました。



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石碑には

「かぶと公園」の名称と、

公園の名前の由来が刻まれていた。



「かぶと公園」


源平の戦いに敗れた平家の「平 景清」が、
※(たいらの かげきよ)

かくまってくれた伯父の

「三宝寺 大日房 能忍」
※(さんぽうじ だいにちぼう のうにん)

過って殺害したことを悔やみ、

この辺りで冑を脱ぎ捨てて
※(冑=かぶと)

立ち去ったという言い伝えから、

「かぶと公園」と命名します。



「源平の戦い」というと平安時代の末期

1180年~1185年にかけて起きた内乱で

「壇ノ浦の戦い」などが有名。



800年以上前の言い伝えが

現代の公園の名として残っているとは

なんとも興味深い話ですね。



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公園の中は、中心に銅像が設置された

大きな広場になっていた。



言い伝えについて

もう少し詳しく調べてみたところ、


「平 景清」

「藤原 景清」の名で知られる人物で
※(ふじわらの かげきよ)

その勇猛ぶりから「悪七兵衛」という
※(あくしちびょうえ)

異名がつくほどの武士だったようです。



1185年「壇ノ浦の戦い」で平家が敗北し

落武者となった景清は、


叔父の「大日房 能忍」という僧侶を訪ね

かくまってもらったものの、


密告されること恐れて能忍

殺害し、その場から立ち去った。


という伝承が残っているそうです。



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なぜか段差が多い「かぶと公園」

歩いてみると結構広い公園だ。



由来となった「かぶと」ですが

これを脱ぎ捨てるというのは

「武士を捨てる」という解釈らしく、


疑心暗鬼で叔父を殺めてしまった

景清さんの後悔は

相当な深さだったようです。



この場から立ち去った景清さん

建久6年(1195年)、源氏によって捕えられ

翌年、絶食して亡くなったとのこと。



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公園にあった古そうな時計台。

まだまだ現役で

しっかりと時を刻んでいる。




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公園の南側

遊具やベンチなどがあった。


9月に発生した台風21号の暴風で

大木がボッキリと折れていた。



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公園の南側、その2


写真の中央左側、

枝木の一部が倒れているのかと思ったら

木が丸々一本、根元から

なぎ倒されていた。



台風が怖いと思ったのは

これが初めてだよ。



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大阪の歴史深さを改めて

知ることができる「かぶと公園」



近くを通り掛かった際は、

ぜひ立ち寄ってみてください。



※この記事の写真は2018年9月に撮影したものです。


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【かぶと公園】



最寄り駅は
阪急京都線・上新庄駅
地下鉄・だいどう豊里駅