この日は、北区の
地下鉄・天神橋筋六丁目駅から東にある
「国分寺」の町を訪れました。
天神橋筋六丁目駅は
地元では「天六」と呼ばれていて、
日本一長い商店街として有名な
「天神橋筋商店街」に
直結している駅です。

ここは国分寺にある
「国分寺公園」。
以前、すぐ近くにある
たこ焼き屋さんで購入したたこ焼きを
この公園で頬張っていたところ、
隅の方に設置されていた石碑を発見。
その時は夜だったので
今回、改めて撮影に訪れたという流れです。

その石碑がこちら。
柵に囲われていて
厳かな雰囲気で佇んでいる。
遠目から見ても「慰霊碑」と
刻まれているのが分かる。

慰霊碑には
「地下鉄工事現場 ガス爆発 犠牲者
慰霊碑」
と刻まれていた。
昭和45年(1970年)に発生した
「天六ガス爆発事故」で
犠牲となった方々の慰霊碑のようだ。

慰霊碑の裏側に回って見ると
ガス爆発の経緯が刻まれていました。
碑文と事故について調べた内容をまとめて
以下に少し書き記しておきます。
「天六ガス爆発事故」
昭和45年4月8日。
当時「天六」の地下では地下鉄・谷町線の
延伸工事が行われていた。
工事の最中、
地下のガス管から都市ガスが噴出。
ガス漏れに気付いて通報した
大阪ガスのパトロール車が
エンジンを再始動した際に引火、
17時45分頃にガス爆発が発生した。
騒ぎを聞きつけ集まってきた人々は
爆風によって吹き飛ばされ、
死者79名、重軽傷者400有余名の
大惨事となった。
地下鉄工事の頃にそのような凄惨な
爆発事故が起こっていたとは……。
天神橋筋商店街の賑わいで
活気のある現在の「天六」からは
想像がつきませんでした。

慰霊碑の正面側へ戻る。
調べた情報によると、
爆発・爆風の勢いは
「覆工板」という重さ380kgもある
※(地下鉄工事の穴を塞いで
仮の路面床板としての役割を果たす資材)
コンクリートの板を
上にいた人々や車もろとも
何百枚も吹き飛ばし、
さらに周囲の家屋26戸が全半焼。
1000戸以上の家屋の扉やガラス窓を
破壊するほどの衝撃であったとのこと。
……恐ろしい話です。

供養台の中。
白い花が供えられていて
ロウソクやお線香がありました。
右側にあるのは
VHSのビデオテープ?


「国分寺公園」のすぐ隣には
地名や公園名の由来となった
「国分寺」があります。

大阪万博の開催中に起きた大惨事の
犠牲者の方々を弔う
「天六ガス爆発事故」の慰霊碑。
地下鉄・天神橋筋六丁目駅から
「都島通」を東へ少し進んだ
「国分寺公園」にありますので、
お立ち寄りの際は
手を合わせていただけたらと思います。
※この記事の写真は2018年6月に撮影したものです。
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【「天六ガス爆発事故」の慰霊碑】
※MAPの「国分寺公園」の南側にあります。
最寄り駅は
阪急千里線・天神橋筋六丁目駅
地下鉄・天神橋筋六丁目駅
コメント
コメント一覧 (2)
慰霊碑の場所、たしかに人目につきにくいですよね。
事故の件が風化しないように、この記事を通して少しでも多くの人に伝わったらいいなと私は思っています。