本日は、昨日の記事と同じ場所。
北区天満にある「南天満公園」から。
昨日の記事はこちらからどうぞ。
※見なくても読み進められます。
内容:ヤレサー ヨイヨー イヨー
ここは「南天満公園」の東端。
川沿いの日陰の所に石碑が
建っているのを発見。
『また石碑っぽいのあるで』
『おっ! 本当だ』
『ここ石碑だらけやね』
『ウチが見つけたんやから
後でパン買ってな』
『やだ』
『さっき調べたら近くに
美味しそうなパン屋あったわ』
『やだって……話聞け』
一緒に来た嫁のまーさんが
強引な要求をしてきた。
まーさんって名前長いからパンにしよう。
こちらが石碑。
そして両サイドに
案内板らしきものが2つ見える。
右側はよく見かける案内板だけど
左側のは何だ?
碑には
「将棊島粗朶水制跡」
と刻まれていた。
『発見した人が読んで』
『なんでやねん』
『パン買ってほしいんでしょ?』
『えー…』
『えーっと……しょう……しま……』
『知らんわっ!
なんかの跡地やろ!』
パンが色々諦めた。
「将棊島 粗朶水制跡」は
「しょうぎじま
そだ すいせい あと」
と読むらしい。難しいな。
碑の左側面。
簡単にまとめると
明治7年、オランダ人技術者の指導で
将棊島の西端に「粗朶」を設置。
淀川の水害を抑制した。
※(よどがわ)
と書かれている。
「粗朶(そだ)」ってなんだ?
「将棊島」もどこか分からない。
ここから西にある
「中之島」のことかな?
※(なかのしま)
碑の裏側。
平成12年3月に大阪市が建立。
そういえば、先ほど碑文に
「淀川の治水のため」とありましたが、
ここで記されてる「淀川」とは
この公園の南側を流れる
「大川」のことを指します。
明治時代の治水工事が完成するまで
「大川」は「淀川の本流」でした。
碑のお隣に設置された案内板。
「将棊島粗朶水制跡」の
ふりがなが振ってある。
ありがとう。
これで読めたよ。
説明文を拡大した写真。
詳細については
写真をご覧いただくとして、
こちらの説明によると
「将棊島」は水害を防ぐために築かれた
堤(堤防)だったらしい。
そしてその「将棊島」の河岸に
木を束ね合わせたものに石を詰め、
河の中央にせり出した
「粗朶」を設置したとのこと。
例えるなら
血液の逆流を防ぐ弁のようなものを
堤防に設置して
水流の勢いを弱めたということかな。
案内板の地図と写真。
地図の中央辺りに
当時存在していた「将棊島」がある。
島というよりは、陸地を横に
みょーんと引っ張って延長した感じ。
まさに堤防だ。
「将棊島」の上側についている
串団子みたいなマークが「粗朶」かな。
淀川の治水工事に尽力した
オランダ人の技術者、
「デ・レーケ」さんの写真もある。
下部の写真は
昭和初期の「粗朶」組み立ての風景。
大きな筏(いかだ)みたいですね。
左側にあった案内板(?)
『これなんだろう?』
『壊れた案内板とかやろか?』
『一応撮っといたら?』
『んんー? これを?』
『石碑の隣にあるし
何か分かるかもしれへんよ?』
パンがやたらと推すので
とりあえず撮影した。
何かは分からなかった。
碑の奥側、大川の河岸。
水中になんか変な草が生えてた。
『なにこの草達』
『さっき書いてあったソダ?』
絶対粗朶じゃねぇ。
あんなフワフワとそよいでるヤツが
粗朶であってたまるか!
河岸に沿って歩く。
ここだけ砂浜みたいになっていて
なぜか波が生まれていた。
ちょっと面白い風景。
何者かのジーンズが漂着している。
亀もいた。
写真中央辺りで水に沈んでいる
黒いかたまりみたいなヤツが亀。
大川にもいるんだなあ。
粗朶を使った水制工事を実施し、
淀川の治水に尽力した偉人の功績を示す
「将棊島粗朶水制跡」の碑。
南天満公園を訪れた際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年6月に撮影したものです。
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【「将棊島粗朶水制跡」の碑】
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