本日は、昨日の記事と同じ場所。

北区天満にある「南天満公園」から。



昨日の記事はこちらからどうぞ。
※見なくても読み進められます。


内容:ヤレサー ヨイヨー イヨー




0823_01

ここは「南天満公園」東端


川沿いの日陰の所に石碑

建っているのを発見。



『また石碑っぽいのあるで』

『おっ! 本当だ』

『ここ石碑だらけやね』

『ウチが見つけたんやから
 後でパン買ってな』

『やだ』

『さっき調べたら近くに
 美味しそうなパン屋あったわ』

『やだって……話聞け』



一緒に来た嫁のまーさん

強引な要求をしてきた。

まーさんって名前長いからパンにしよう。



0823_02

こちらが石碑

そして両サイドに

案内板らしきものが2つ見える。


右側はよく見かける案内板だけど

左側のは何だ?



0823_03

碑には

「将棊島粗朶水制跡」

と刻まれていた。



『発見した人が読んで』

『なんでやねん』

『パン買ってほしいんでしょ?』

『えー…』

『えーっと……しょう……しま……』

『知らんわっ!
 なんかの跡地やろ!』



パンが色々諦めた。



「将棊島 粗朶水制跡」

「しょうぎじま
 そだ すいせい あと」

と読むらしい。難しいな。



0823_04

碑の左側面

簡単にまとめると


明治7年、オランダ人技術者の指導で

将棊島の西端に「粗朶」を設置

淀川の水害を抑制した。
※(よどがわ)


と書かれている。



「粗朶(そだ)」ってなんだ?


「将棊島」もどこか分からない。

ここから西にある

「中之島」のことかな?
※(なかのしま)




0823_05

碑の裏側。

平成12年3月大阪市が建立



そういえば、先ほど碑文に

「淀川の治水のため」とありましたが、


ここで記されてる「淀川」とは

この公園の南側を流れる

「大川」のことを指します。


明治時代の治水工事が完成するまで

「大川」「淀川の本流」でした。




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碑のお隣に設置された案内板


「将棊島粗朶水制跡」

ふりがなが振ってある。


ありがとう。

これで読めたよ。




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説明文を拡大した写真。


詳細については

写真をご覧いただくとして、


こちらの説明によると

「将棊島」は水害を防ぐために築かれた

堤(堤防)だったらしい。


そしてその「将棊島」の河岸に

木を束ね合わせたものに石を詰め、

河の中央にせり出した

「粗朶」を設置したとのこと。



例えるなら

血液の逆流を防ぐ弁のようなものを

堤防に設置して

水流の勢いを弱めたということかな。



0823_07

案内板の地図写真


地図の中央辺りに

当時存在していた「将棊島」がある。


島というよりは、陸地を横に

みょーんと引っ張って延長した感じ。

まさに堤防だ。



「将棊島」の上側についている

串団子みたいなマークが「粗朶」かな。


淀川の治水工事に尽力した

オランダ人の技術者、

「デ・レーケ」さんの写真もある。



下部の写真は

昭和初期の「粗朶」組み立ての風景

大きな筏(いかだ)みたいですね。



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左側にあった案内板(?)



『これなんだろう?』

『壊れた案内板とかやろか?』

『一応撮っといたら?』

『んんー? これを?』

『石碑の隣にあるし
 何か分かるかもしれへんよ?』



パンがやたらと推すので

とりあえず撮影した。

何かは分からなかった。



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碑の奥側、大川の河岸

水中になんか変な草が生えてた。



『なにこの草達』

『さっき書いてあったソダ?』



絶対粗朶じゃねぇ。

あんなフワフワとそよいでるヤツが

粗朶であってたまるか!



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河岸に沿って歩く。


ここだけ砂浜みたいになっていて

なぜか波が生まれていた。

ちょっと面白い風景。



何者かのジーンズが漂着している。



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亀もいた。

写真中央辺りで水に沈んでいる

黒いかたまりみたいなヤツが亀。


大川にもいるんだなあ。



0823_13

粗朶を使った水制工事を実施し、

淀川の治水に尽力した偉人の功績を示す


「将棊島粗朶水制跡」の碑



南天満公園を訪れた際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年6月に撮影したものです。


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【「将棊島粗朶水制跡」の碑】



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