この日は北区にある
「天満」の町を散策しました。
※(てんま)
大阪城から見て、
北西にある「天満橋」を
越えた先にある地域です。
そんな天満の南側、
大川沿いにある
「南天満公園」という公園の
道路沿いを歩いていると……。
見覚えのある石碑を発見。
「旧町名継承碑」だ。
先週紹介した
「市之町」の旧町名継承碑
と構図が似てるよね。
と構図が似てるよね。
……あそこからね。
ちょっと東に歩いたらね。
これがあったのよ奥さん。
「先週とか知らん」という方は
こちらのリンクからご覧ください。
※ご覧いただかなくても、このまま読み進められます。
内容:ここに市場ある!ヨッシャ市之町にしよ!
こちらが「旧町名継承碑」。
昭和時代の区画整理で消滅した
昔の町名を現代に伝えるために
大阪市が設置した石碑です。
中央の青いプレート部分に
この辺りの町名の変遷の様子や
町名の由来などが書かれているよ。
どうやらこの辺りは昔、
「此花町一~二丁目」
という町名だったようだ。
読み方は
「このはな まちorちょう」。
詳しいことは写真をご覧ください。
「此花町一~二丁目」に関わる
部分のみを以下に抜粋します。
「此花町一~二丁目」
明治5年3月
当町は天満八丁目、農人町全域、椋橋町の
各町をもって「此花町一~二丁目」となった。
その後、北区・大阪市に編入され
昭和53年2月
住居表示の実施にともない
「此花町一~二丁目」は
天満四丁目、天神橋一~二丁目、
東天満一~二丁目、紅梅町の各一部となった。
町名の由来は
「難波津に咲くやこの花冬ごもり
今を春べにさくやこの花」
という古歌から。
由来は古歌からという
風流なセンスで付けられた
町名だったようだ。
「難波津」というのは
※(なにわつ or なにわのつ)
古代の大阪湾にあった港のこと。
詳細な場所は不明だけど
現在の中央区辺りにあったのだとか。
……なんか難しい話してごめんね。
ものすごく簡単に言うと
大昔、大阪の一部分は海だったよ。
その海の情景を和歌にしたものから
ここの町名を名付けたんだよ。
って話です。
継承碑の奥には
「南天満公園」に併設された
テニスコートが見える。
「此花」と言えば
大阪を代表するテーマパーク
「ユニバーサル スタジオ ジャパン」
があるのが「此花区」。
こちらの此花区の名称も
「難波津」について詠んだ同じ和歌から
名前を付けたそうです。
この旧町名と由来が同じだ。
天満の町の南端に佇む
「此花町一~二丁目」の旧町名継承碑。
近くを通り掛かった際は
ぜひ眺めていってみてください。
※この記事の写真は2018年6月に撮影したものです。
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【旧町名継承碑「此花町一~二丁目」】
最寄り駅は
京阪線・天満橋駅
地下鉄・天満橋駅
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