この日は北区にある

「天満」の町を散策しました。
※(てんま)


大阪城から見て、

北西にある「天満橋」

越えた先にある地域です。



0710_01

そんな天満の南側

大川沿いにある

「南天満公園」という公園の

道路沿いを歩いていると……。



0710_02

見覚えのある石碑を発見。

「旧町名継承碑」だ。



先週紹介した

「市之町」の旧町名継承碑

と構図が似てるよね。


……あそこからね。

ちょっとに歩いたらね。

これがあったのよ奥さん。



「先週とか知らん」という方は

こちらのリンクからご覧ください。
※ご覧いただかなくても、このまま読み進められます。


内容:ここに市場ある!ヨッシャ市之町にしよ!



0710_03

こちらが「旧町名継承碑」


昭和時代の区画整理で消滅した

昔の町名を現代に伝えるために

大阪市が設置した石碑です。



中央の青いプレート部分に

この辺りの町名の変遷の様子や

町名の由来などが書かれているよ。



0710_04

どうやらこの辺りは昔、

「此花町一~二丁目」

という町名だったようだ。


読み方は

「このはな まちorちょう」



詳しいことは写真をご覧ください。


「此花町一~二丁目」に関わる

部分のみを以下に抜粋します。



「此花町一~二丁目」

明治5年3月
当町は天満八丁目、農人町全域、椋橋町の
各町をもって「此花町一~二丁目」となった。

その後、北区・大阪市に編入され

昭和53年2月
住居表示の実施にともない
「此花町一~二丁目」
天満四丁目、天神橋一~二丁目、
東天満一~二丁目、紅梅町の各一部となった。

町名の由来は
「難波津に咲くやこの花冬ごもり
     今を春べにさくやこの花」
という古歌から。



由来は古歌からという

風流なセンスで付けられた

町名だったようだ。



「難波津」というのは
※(なにわつ or なにわのつ)

古代の大阪湾にあった港のこと。


詳細な場所は不明だけど

現在の中央区辺りにあったのだとか。



……なんか難しい話してごめんね。



ものすごく簡単に言うと


大昔、大阪の一部分は海だったよ。

その海の情景を和歌にしたものから

ここの町名を名付けたんだよ。


って話です。



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継承碑の奥には

「南天満公園」に併設された

テニスコートが見える。



「此花」と言えば


大阪を代表するテーマパーク

「ユニバーサル スタジオ ジャパン」

があるのが「此花区」



こちらの此花区の名称も

「難波津」について詠んだ同じ和歌から

名前を付けたそうです。


この旧町名と由来が同じだ。



0710_02

天満の町の南端に佇む

「此花町一~二丁目」の旧町名継承碑


近くを通り掛かった際は

ぜひ眺めていってみてください。



※この記事の写真は2018年6月に撮影したものです。


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【旧町名継承碑「此花町一~二丁目」】



最寄り駅は
京阪線・天満橋駅
地下鉄・天満橋駅